2013.11.18 文春写真館

さまざまなフレーズで呼ばれた
川上哲治の野球人生

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

さまざまなフレーズで呼ばれた<br />川上哲治の野球人生

「赤バット」「打撃の神様」「弾丸ライナー」「テキサスの哲」「哲のカーテン」そして「球界のドン」。さまざまな呼ばれ方をした川上哲治は、日本プロ野球界に多大な足跡を残した。大正九年(一九二〇年) 生まれ。熊本工で夏の甲子園準優勝を果たし、東京巨人軍に投手として入団。打者転向後、十九歳で史上最年少の首位打者となる。大下弘の青バットに対抗して川上が握った赤バットは、戦後のプロ野球復興期に、ファンを熱狂させた。首位打者五回、史上初めて通算二千本安打を記録し、「打撃の神様」と呼ばれたが、全盛期の「弾丸ライナー」が鳴りをひそめるようになった現役時代終盤の打撃は、ポテンヒット(テキサス安打)が増えたため、「テキサスの哲」とのフレーズがついた。

 昭和三十三年(一九五八年)に現役引退、巨人監督就任後は、牧野茂をコーチに招へい、サインプレーなどきめの細かなドジャース戦法を駆使して常勝軍団を築きあげた。ときに記者を排除して練習し、チャーチルの演説になぞらえて、「哲のカーテン」を引いたと評された。さらに、主力の長嶋、王に厳しく接してチームの緊張感を保った。

〈打てんとはなんだ。おまえには江夏を打つだけの給料をちゃんと払ってるじゃないか〉〈Ⅴ9時代、江夏にひねられてベンチに戻ってきた長嶋が「ダメだダメだ。きょうの江夏はとても打てん」といったときに、川上監督が長嶋にいった言葉。長嶋はそのあとの打席でホームランを打った〉(「ナンバー」722号「心に染みた監督の言葉」海老沢泰久より)

 監督通算十四年間で、十一度のセ・リーグ優勝、十一度の日本一を成し遂げた。「巨人大鵬卵焼き」――不滅の記録、日本シリーズ九連覇を成し遂げた昭和四十年代、日本の子供が好きだったものをとらえたこのフレーズは、広く国民に浸透した。監督を退いた後は野球解説の仕事をこなしながら、巨人の監督人事に大きな影響を与えたとされ、「ドン」と呼ばれることとなった。平成四年(一九九二年)にはプロ野球界初の文化功労者に選ばれた。平成二十五年十月二十八日没。写真は昭和六十三年撮影。

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