4月の終わりに上海に行った。小説のための取材で、ほぼ10年ぶり、2度目の上海だった。主人公を上海駐在員の妻にすることだけが決まっていたので、日本人の奥様2人とお茶をして、お話を聞かせていただいた。
「たしかに上海は、万博もあったし、きれいになりました。最近は、外出用のパジャマの人、見ないものね」
1人の美人妻がもう1人の美人妻に相槌を求める。外出用のパジャマ?
「それは就寝用とは違うのですか?」
「違います。完全にお出かけ用。そう書いて、売ってるんです」
ねえ、とお2人は優雅に微笑んだ。
見たい。外出用のパジャマ。小説には書かないかもしれないけど見たい。
しかし、高層ビルと新しい商業施設の立ち並ぶ上海では、爪の先まで完璧にきめた美女が、高そうな服を着てスマートフォンを手放さないやり手風の若者とワインを傾けたりしている。パジャマの女性が歩いている姿を見られそうな雰囲気ではなかった。
ローカルな感じの上海を見るには、最新スポットを外れたところに行く必要があったらしい。かつては日本人も多く暮らし、作家・魯迅の旧居が残るという虹口(ホンキュー)地区に出かけてみたら、コスモポリタンかつエッジの効いた最先端都市・上海のイメージが一変した。
魯迅公園では、朝から中高年がラジカセを大音量にして社交ダンスに興じている。太極拳にジャズダンス、あちらから聞こえてくるのは大合唱。そして私は思わず声を上げた。
花柄模様のパジャマを着てしっかりお化粧をした女性が、夫か恋人と、いまにもダンスのステップを踏もうとしていたのである。異国情緒を求めるビジターの期待は満たされていった。
上海で外出用パジャマを見たがるなんていうのは、最先端の若者からしてみればなんとうっとうしい「外国人」か、ということになるかもしれないけれど、「何が流行るかなんてわかんない。近未来の上海で外出用パジャマが大流行しても私は驚かないわよ」と、ユニクロが流行らせた「ステテコ」を見ながら東京の私は思うのであった。
歴史上脈々と食べられてきた美味は
台北に行ったのは昨年の夏だ。こちらも取材がらみ、約10年ぶりだが、上海の激変ぶりに比べるとさほど変わった印象はなかった。人も車もバイクも多いし、活気のある街だ。それでも、台北に流れるのは島時間というか、のんびりしているように感じられた。
しかしおっとりしていたのは、私のほうかもしれない。台北からほど近い町のローカル線に乗ろうと出かけて、うっかり特急列車に乗ってしまい、3時間近く下車できずに、花蓮(ファリエン)まで連れて行かれてしまった。でも、このとき花蓮の売店で買った柔らかい煮鶏のお弁当は、ふとした瞬間に思い出して食べたくなる旅の思い出だ。台湾は食天国で、小籠包のみならず、坦仔麺(タンツーメン)、魯肉飯(ルーローファン)、マンゴーや五色豆のかき氷と、たまらない記憶が刷り込まれた。
ただ一つびっくりしたのは、フェイスブックで旧交が復活し、四半世紀ぶりで再会した友人(台湾人)が、筋金入りの健康志向に変身していて、屋台の食べ物を「毒だ」と食べさせてくれなかったことだ。彼が唯一許可してくれたのが「さとうきびジュース」。夜市に関してだけは、いっしょに行く相手を間違えたという後悔が残る。
ところでこれらの旅のきっかけは、13年前に北京の出版社で2週間ほど雇われ編集者をした経験を題材にした小説を書いたことだった。こちらは私の小説にしては珍しく、自分の体験を具体的に生かした作品になる。私小説ではないので、登場人物の性格や人間関係は私自身には重ならないけれど、エピソードの多くを事実から拾った。13年前といえば、中国はファッション雑誌の草創期にあたる。日本での雑誌編集者経験を買われて、中国人スタッフの中に抛(ほう)り込まれた濃くて短い日々のことは、書いておく意味があるように思った。現在の中国のファッション業界の趨勢(すうせい)を知る人には、隔世の感があるに違いない。
この作品をスタートに、上海と台湾に取材した2編を書き、『のろのろ歩け』という作品集をまとめた。タイトルの由来は、中国語のあいさつ「漫漫走」の直訳的誤訳である。
この秋、10月の初めに、〈東アジア文学フォーラム〉というイベントに参加するために北京に行く。それこそ、13年ぶりの北京だ。いま、私の頭の中は、北京名物「シュワン羊肉(ヤンロウ)」や、めちゃくちゃ辛かった屋台の麺をもう一度食べたいという欲求でパンパンに膨らんでいる。21世紀を迎えオリンピックも経た北京は、相当変わったに違いない。しかし、人が歴史上脈々と「おいしい」と食べ続けてきたものは、そうそう簡単になくなったりはしないはず。北京の懐かしい味に久しぶりに触れるのは、ものすごく楽しみなのだ。