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<かわいそう>の呪縛から解放されるとき

<かわいそう>の呪縛から解放されるとき

文:瀧井 朝世 (ライター)

『かわいそうだね?』 (綿矢りさ 著)


ジャンル : #小説

 

 感情を理性でコントロールしようとしたって、なかなかうまくいきやしない。無理に冷静に判断を下そうとして時に空回りすることだってある。その滑稽味を書かせたら抜群な冴えを見せるのが綿矢りさだ。前作『勝手にふるえてろ』でも二人の青年の間で揺れ動き、思考をめぐらす乙女の心理をユーモラスに描き切っていた。新作『かわいそうだね?』の表題作の主人公もまた、異なる恋愛シチュエーションで苦悩し大いに空回りしていて笑わせる。

 百貨店のブランド店で働く二十八歳の樹理恵(じゅりえ)はある日、恋人の隆大(りゅうだい)から無理難題をつきつけられる。長年つきあった元彼女のアキヨが就職できず困っているので居候させる、ダメというなら樹理恵とは別れる、というのだ。女性、しかも自分の前につきあっていた恋人というのだから穏やかではない。彼女がきっぱりと拒絶できない理由はみっつ。ひとつは隆大に対する愛情。もうひとつはアメリカ育ちの彼は自分には理解できない隣人愛の持ち主ではないかという思い込み。みっつ目は職場でも“頼りになる姐さん”であるように、ワガママが言えない性分なのだ。

 この由々しき事態を著者はコメディに仕立てあげている。辛いことから気を紛らわせようと妄想を広げていく樹理恵の脳内、彼女の立場を理解しない隆大たちとの会話のズレがなんともおかしい。さらには勘違いっぷりにも爆笑。異文化の価値観を知ろうと英会話の外国人講師に相談を持ちかけるがほとんど聞き取れず、相手の会話に出てくる元恋人を指す“エックス(ex)”という単語を〈クリスマスとか十字架とかのことだろうか〉と勝手に解釈。女性講師が異を唱えているのに気付かず、隆大の親切心はキリスト教文化では普通のことだと納得してしまうのである。

 彼女が自分に言い聞かせるのは、アキヨさんは〈かわいそう〉だから助けねばならない、ということ。その裏には自分のみじめさを認めたくない気持ちがある。だから状況を聞いた後輩から「先輩、かわいそう」と言われると過剰に驚く樹理恵がいる。彼女には小学生の頃に「かわいそう」という言葉を気軽に使って周囲から「恩着せがましい」「なんか見下してる」と責められて反発をおぼえた経験がある。そのため必要以上にこの言葉に敏感なのだ。

 やせ我慢を続けて結局彼女は感情を抑えられなくなる。しかしその時に気づくのだ。同情を装って相手を見下すことと、本当の親切心はまったく違うということに。〈かわいそう〉という言葉の呪縛から解き放たれたラストは、やはり痛快なハッピーエンドといいたい。

 収録されているもう一編「亜美ちゃんは美人」は、三人称だが主要人物の少女二人を“ちゃん”づけで語る文体で、彼女たちの友人か、あるいは本人が第三者になりすまして告白しているような親近感がある。ここでも主人公が〈かわいそうな自分〉を認めようとしない場面が出てくる。

 主人公はさかきちゃん。高校時代に出会った亜美ちゃんは突出した美貌の持ち主で男女両方から崇拝されている。性格が素直で嫌味がないのでやっかまれることもない。人気者の彼女に親友扱いされていることで、さかきちゃんは周囲から一目置かれている。実は、周囲ほどこの美少女を称賛しているわけではない。でも亜美ちゃんはなぜかさかきちゃんを頼りにし、彼女の指示に従って髪型を変えるほど。その主従の関係性によって二人の友情は絶妙なバランスを保っているのだ。

 大学に進学しサークルの歓迎会に参加してみると、男子学生たちは亜美ちゃんをチヤホヤし、さかきちゃんはマネージャー扱いされコケにされる。傷ついたことを悟られたくなくて道化に徹するさかきちゃん。その姿はかなり痛々しい。あえてショックを表面に出して相手に反省させればいいのに、とも思ってしまう。しかし若い女性にとって他人から〈かわいそう〉と思われることは決してプライドが許さないのだ。

 その後、居心地のよいサークルを見つけて大学生活を満喫し、恋人もつくるさかきちゃん。卒業して二年後、亜美ちゃんにも新しい恋人ができるのだが、これがとんでもない男だ。職業不詳、口のきき方はチンピラ風、しかも亜美ちゃんのことを召使扱い(このダメ男の描き方も秀逸)。そんな相手と結婚したいというのだから驚きだ。積極的に同意するのは憚(はばか)られるさかきちゃんは、学生時代からの男性の知人に相談する。すると意外なことを言われる。復讐ができますね、と。あなたが賛同すれば二人は結婚するだろうし、そうすればやがて亜美ちゃんは不幸になるだろう、と。周囲から自分はかわいそうな存在に思われていたと改めて気づくさかきちゃんだが、卑屈な感情は生まれない。彼女自身、もう自分に満足しているからだ。そしてどうしてそんなダメ男を好きになったのか、亜美ちゃんの本意に気付いた時、さかきちゃんの心はまた大きく変化する。ようやく素直な目をこの友人に向けるのだ。二人の関係性のいびつさを冷ややかに眺めていたはずが、ラストシーンははからずも胸が熱くなる。

 少女たちはみんな頭でっかちだ。自分のちっぽけな自尊心を守るために〈かわいそう〉と思われることを頑(かたく)なに拒絶したり、他人を〈かわいそう〉と思うことで優越感を得ようとしたり。亜美ちゃんのように劣等感とはまた別なところで他者との関係に屈託を抱いているケースもある。そこから解放された時、少女たちはようやく自由になり、大人になる。そんな成長の瞬間をすくいとっているのが、この二編なのである。

文春文庫
かわいそうだね?
綿矢りさ

定価:726円(税込)発売日:2013年12月04日

単行本
かわいそうだね?
綿矢りさ

定価:1,430円(税込)発売日:2011年10月31日

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