本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
中国史関連の第一人者、陳舜臣の神戸港散策

中国史関連の第一人者、陳舜臣の神戸港散策

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 田中角栄と周恩来が、日中国交正常化の共同声明に署名したのが昭和四十七年(一九七二年)。日中平和友好条約が調印されたのは六年後の昭和五十三年。二年後にNHK特集の「日中共同制作 シルクロード」がシリーズで開始されるや、大ブームとなった。

 人々の興味にこたえて、小説や歴史解説、紀行文などで活躍したのが、司馬遼太郎、陳舜臣、井上靖の三人だ。ことに司馬と陳は大阪外国語学校の同窓(司馬が一年下)で、近代の戦争をはさんで日本と中国を考える上では、当時の日本人の規範でありリーダーであった。

 大正十三年(一九二四年)、神戸の貿易業者の家に生まれる。中国河南省から出て台湾に移住し、その後日本に来た商家で、日本の敗戦によって日本国籍を失ったため、勤めていた大学の研究所を退職。やがて小説を書き始めた。

 昭和三十六年に「枯草の根」で江戸川乱歩賞受賞後に本格的に作家生活に入り、歴史小説、現代小説、歴史書、古典解説など幅広い分野で活躍し、中国史関連の第一人者となる。直木賞、大佛次郎賞、吉川英治文学賞などあまたの文学賞を受賞、平成十年(一九九八年)には勲三等瑞宝章を受章した。

 写真は昭和五十一年「オール讀物」に載った、神戸・摩耶埠頭でのもの。

 難しい漢字が並び、高尚で煙たかった中国物を、誰にでもスラスラ読めて、どんなに複雑で長大な歴史も楽しく分かりやすく解説する技においては、いまだに右に出るものはない。

 ことに『秘本三国志』では、それまで劉備と孔明が善玉のヒーローだった「三国志演義」を超え、正史を踏まえて三国それぞれの魅力を引き出し、策略と陰謀の面白さを展開して、日本の三国志受容の転機を作っている。

 平成二年に再び日本国籍を取得。平成六年に脳出血で倒れ、その療養中に阪神・淡路大震災に遭う。直後に神戸新聞に掲載された、「神戸よ」の一行で始まる「悲しみを超えて」は、多くの人の胸を打った。

 その後も口述筆記で創作を続けていたが、平成二十七年一月、老衰のため九十歳で永眠。桁違いの教養と人徳を兼ね備えた、戦後日本の巨星だった。

ページの先頭へ戻る