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新憲法の口語体を強く望んだ山本有三

新憲法の口語体を強く望んだ山本有三

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 山本有三は本名勇造。明治二十年(一八八七年)栃木県生まれ。実家は呉服商だった。家業を継ぐことを期待されたが、佐佐木信綱が主宰する短歌の結社に参加、またさまざまな雑誌に投稿するなど、文筆の世界にあこがれた。東京府立一中を卒業後、旧制一高へ。ここで近衛文麿と同級生だった縁から、終生親交を温めた。東京帝国大学入学後、芥川龍之介、久米正雄らと第三次「新思潮」に参加する。卒業後、戯曲「生命の冠」で文壇にデビューする。「生きとし生けるもの」「波」「風」「女の一生」を朝日新聞に連載。また「真実一路」(昭和十年=一九三五年)を「主婦之友」に連載し、作家として不動の地位を築く。さらに、芥川や菊池寛らとともに文芸家協会を設立し、著作権の確立にも尽力した。

 ただ、共産党シンパと疑われて逮捕されたり、その後も検閲の厳しい追及から「路傍の石」が中断に追い込まれたりするなど苦しい時代も過ごした。

 昭和十六年には帝国芸術院会員に選ばれたが、戦争中は、軍国主義には批判的な立場をとっていた。

 終戦直後の昭和二十年十二月、巣鴨拘置所への出頭命令の出た近衛の行く末を案じ、近衛自決の前夜も荻外荘で面会していた。

 貴族院勅選議員となり、国語国字問題に取り組み、ふりがな廃止を唱えた。また口語化にも尽力し、新憲法の公布にあわせて、口語体の使用を強く要望した。昭和二十二年の第一回参議院議員選挙に当選、緑風会の結成に奔走し、その名付け親にもなった。昭和四十年、文化勲章受章。昭和四十九年没。写真は昭和四十八年に撮影された。

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