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危機感からの創刊、そして読者層の拡大へ 座談会(2)

危機感からの創刊、そして読者層の拡大へ 座談会(2)

羽鳥 好之 (文春文庫局長)

文春文庫の1980年代


ジャンル : #ノンジャンル

阿部達二(あべ・たつじ)
1937年青森市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部卒業。1961年文藝春秋入社。「文學界」「別册文藝春秋」各編集長、文藝編集局長などを歴任。1999年退職。 著書に『藤沢周平残日録』(文春新書)、『江戸川柳で読む百人一首』(角川選書)などがある。

鈴木文彦(すずき・ふみひこ)
1946年盛岡市生まれ。早稲田大学第一法学部卒業。 1969年文藝春秋入社。「スポーツ・グラフィック ナンバー」「オール讀物」各編集長、文藝編集局長などを歴任。2011年退職。現在は八重洲ブックセンター顧問。

読者層を広げた作家たち

羽鳥 80年代は赤川次郎さんが席巻していますね。

鈴木 76年に「幽霊列車」(※7)でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビューしたけれど、文庫化は81年で5年も経っている。注目されてはいたけれどすぐに本が売れたわけじゃない。ところが78年に、「三毛猫ホームズ」シリーズで火が付いて、爆発的に売れた。

阿部 それにしてもすごい部数だよね。「幽霊シリーズ」は軒並み初版30万部だもの。それ以前の文春文庫でいちばん初版部数が多かったのは『アンネの日記』(※8)(74年初版)ですよ。世界的名著。

鈴木 この頃、赤川次郎さんと星新一さんが中高生に広く読まれて、その結果、文庫の読者層が広がった。赤川さんの大きな功績です。文庫全体の読者層についていえば、角川映画の影響も大きかったですね。角川書店が70年代に横溝正史さんや森村誠一さんの作品を大量に文庫化して映画も作り、セットで大々的に宣伝した。『犬神家の一族』(横溝正史原作、76年映画公開)とか『人間の証明』(森村誠一原作、77年映画公開)とか、空前のベストセラーとなって世間を騒がせた。

阿部 「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーを角川書店が流行らせて。見てから読んだ人が相当いたんじゃないかな。

羽鳥 当時、横溝さんの年間所得が10億円を超えてニュースになったのを覚えています。赤川さんの『セーラー服と機関銃』が映画化されたのもその少し後ですね。

阿部 ほかでは、向田邦子さんは本当によく売れました。あれだけの短期間でね。もちろん名文家なんだけれど、それだけじゃなく、エッセイ(※9)1つ1つが短篇小説が書けるだけの内容を持っていて、それを惜しげもなくエッセイに投入してしまう。だから芳醇なんですね。山口瞳さんなんか「勿体ない、勿体ない」と言っていた。永いこと小説を書いていてネタに苦しむベテラン作家から見れば勿体なかったんです。

鈴木 忘れられつつあった戦後の昭和を本当にうまく描いていましたね。

羽鳥 80年代初頭はバブルが始まりかけて、明るく享楽的な文化が広まりつつありました。そんな時代に、失われかけたすこし昔の匂いを持った向田さんの作品が支持されたんでしょうね。

阿部 それに、知的なユーモアがあった。読むとゲラゲラ笑っちゃって、その後でしんみりしてくる。

鈴木 山本夏彦さんや山口瞳さんのハートをギュッと掴んでましたよね。

阿部 直木賞(※10)の選考会では山口さんと水上勉さんが強く推していらした。受賞されたのは亡くなる前年でしたね。もっと長生きしていたらどんなものを書いただろうと思うと、つくづく残念。

※7 中年の警部・宇野喬一と女子大生・永井夕子のコンビが活躍する幽霊シリーズ第一作。土曜ワイド劇場でもおなじみ。シリーズ最新刊『幽霊注意報』好評発売中。

※8 ドイツに生まれたユダヤ人の少女アンネ・フランクが、13歳でナチス政権下のドイツから逃れてオランダに潜伏し、15歳で秘密警察に連行されるまでを綴った日記。

※9 『無名仮名人名簿』『霊長類ヒト科動物図鑑』『父の詫び状』『女の人差し指』など。

※10 80年、第83回直木賞受賞。

羽鳥 トム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え(※11)』が80年代の8位に入っています。

阿部 この頃の文春の外国文学といえばクランシーとスティーヴン・キングです。キングは『シャイニング(※12)』とか『ミザリー(※13)』とか『IT(※14)』とか―どれも映画になってよく売れました。しかし意外と翻訳ものがランクインしていないね。『マディソン郡の橋(※15)』(ロバート・ジェームズ・ウォラー)なんかはものすごく売れた気がするけれど。

羽鳥 あれは単行本が売れすぎて、文庫はランキングに入るほどではなかったんです。単行本だけで250万部以上も売れましたから。かつては外文といえば早川書房や東京創元社から出ているイメージでしたが、80年代ころに文春文庫や新潮文庫が積極的に出し始めて以来、一部のマニアだけのものではないメジャーなものになった、という時代背景があります。特にエポックメイキングだったのは、文春文庫でリチャード・ジェサップの『摩天楼の身代金(※16)』やテリー・ホワイトの『真夜中の相棒(※17)』を出したこと。この2点はしばらく品切れでしたが、40周年を記念して今年復刊することが決まっています。

阿部 ところで、このランキングに入っている芥川賞受賞者は宮本輝さんだけ。『青が散る(※18)』は、私と鈴木君が「別册文藝春秋」をやっていた頃に原稿を頂いた。素晴らしい作品でしたよ。他の芥川賞受賞者もこのくらい読者を喜ばせることを考えてほしい(笑)。

羽鳥 歯に衣着せぬご発言ありがとうございます(笑)。

鈴木 『青が散る』はまさに傑作。巧い。「文藝春秋」編集長が「先生、『青が散る』みたいな小説をください!」とお願いをして、「同じようなものを2度書けるか!」と怒られたという逸話を聞いたことがあります。

羽鳥 80年代も引き続き池波正太郎、司馬遼太郎のお2人が牽引しているんですが、このランキングの少し下に渡辺淳一さんの『ひとひらの雪(※19)』が入っています。70年代には『夜の出帆(※20)』が9位。

鈴木 『ひとひらの雪』は日本経済新聞連載ですよね。後年の『失楽園』もそうだった。

阿部 お固い読者がびっくりした(笑)。

羽鳥 サラリーマンが毎朝の挨拶代わりに話題にしたといいますから。一種の社会現象になりました。

鈴木 日経で話題になると単行本や文庫でブームになることは多かった。津本陽さんの『下天は夢か』もそう。そうした現象のはしりが『ひとひらの雪』でしたよね。

阿部 日経の小説は経営者が社員に勧める、あるいは経営者が読んでいるから社員も読むということで話題になるんですね。

座談会(3)「文春文庫の1990年代」はこちら>>

※11 ソ連海軍の誇る世界最大の原子力潜水艦レッド・オクトーバーの艦長が、艦とともにアメリカへの亡命を画策。阻止へと動くソ連軍と米軍の息詰まる駆け引きを描いた海洋冒険・軍事テクノロジー小説。90年に映画化。

※12 雪に閉ざされたコロラド山中のリゾートホテルに、一冬の管理人として住み込んだ作家とその妻、5歳の息子。彼らに邪悪なるものが忍び寄る。80年、スタンリー・キューブリック監督により映画化。

※13 半身不随になった作家が、愛読者の元看護婦に監禁され「自分ひとりのために」小説を書くように脅迫される。90年映画化(日本公開は91年)。

※14 少年の頃体験した恐怖。その体験を共有する7人は27年後、IT(それ)としか呼べないものと対決する。90年映画化。

※15 橋を撮るためアイオワ州の片田舎を訪れた写真家と、そこに住む農家の人妻。4日間の恋は、時間を超えて成就する。95 年に映画化。

※16 「世界で最も安全」な超高級マンションを人質にした青年は前代未聞の要求、そしてその受け取り方を突きつける。83年初版。

※17 相棒が取ってきた仕事をこなす殺し屋・ジョニーは1度だけ、予定になかった警官を殺した。警官の相棒はその復讐に走る。84年初版。アメリカ探偵作家クラブペーパーバック賞受賞。

※18 新設大学1期生の主人公はテニス部の創設に参加する。青春の崇高さと残酷さを描き、テニスというスポーツを初めて文学にした。

※19 妻子ある中年建築家・伊織は若い部下の女性と美貌の人妻との間で揺れ動く。新しい愛の形を描いた。85年映画化。

※20 忘れられた初老の作家と同棲生活に入る若い女性。5年後、就職した出版社の社長と新たな恋が……2人の中年男性の間で揺れる女心を描く。

 
座談会の文中に登場するランキングの詳細は特設サイトでご覧ください。

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