しょうたいがわからないものをまねるにはとてもそっくりまねるしかなかった.
物語らしい物語を書きたかった年月があった.
物語に出あい,物語に惹かれ,物語を作ろうとおもったので,もっとよくながめ,惹きつけられたわけをしらべ,しくみを解くためにも,とにかくしげしげとそこにすべりこんでみるしかなかった.見えていくにつれて,切り捨てたり取り替えたりしてかまわないところ,むしろぜひそうしなければならないところがふえたが,いったいその堅固さがしたわしいのだか脆さがしたわしいのだか,赤いからか青いからかまざっているからかさっぱりつきとめられないうちは,気にいった物語の作りやぶぶんをまねることが,つきとめるためにもおもいつけるゆいつの手だてだった.
まったくどうじに,時時刻刻もれていってしまうもののこと,他者に言いあかすことのできないもののこと,それどころかじぶんでも捉えられないもののことが幼時をなやませはじめていた.まだおなじ年ごろのむれに立ちまじるまえの,どちらかといえば賢明でこまやかな察しにかこまれていたはずの日日にも,だからこそなおごまかしようもなく,つたわらなさをおもいしるきっかけはのべつにふりそそいだ.きっかけはなぜその服がそんなに着たくないのかその玩具が惜しいかそのまひるが哀しいかというようなあけくれの些事なのだが,そうしたきっかけからさわってしまう感覚と想念のもどかしいかたまりのつたわらなさ言いあかせなさ捉えられなさは,けっきょくのところじぶんの受けとめている事象と他者の受けとめている事象とは異なる相をしていて,じぶんが観た相はじぶんにしか無いものであり,じぶんがささえていなければそれきり無くなってしまうのだという,いたたまれない愁いにつながっていた.どうやってそれをつかまえ,定着させうるか.
二つの手さぐりは一つの式に整えられないまま,べつべつに,しかももつれあって愁われた.