文春写真館

「よい品をどんどん安く」をモットーに疾走し続けた中内功

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

「よい品をどんどん安く」をモットーに疾走し続けた中内功

 戦後、ダイエーを創業し、日本でスーパーマーケットによる流通革命を起こした中内功は、大正十一年(一九二二年)、大阪生まれ。旧制神戸三中から兵庫県立神戸高等商業学校に進む。昭和十八年(一九四三年)応召し、ソ満国境に赴いたのちフィリピンで終戦を迎える。復員後、やみ商売で生計を立てる。

 昭和三十二年、大阪市内の京阪本線千林駅前の商店街に「主婦の店ダイエー薬局」という一号店を出店する。メーカーからの圧力に耐えて、価格破壊に徹して消費者から歓迎された。

「よい品をどんどん安く消費者に提供する」をモットーに、食料品を中心に徹底的に安く提供した。メーカーの協力を得られない場合は、自社ブランドの商品開発を進め、既存のメーカーとの軋轢を生んだ。カラーテレビをめぐって、松下幸之助と鋭く対立、このダイエー・松下戦争は、三十年もの長きにわたった。

 昭和四十七年に、三越を抜き、小売業売り上げ首位に躍り出る。昭和五十五年には、売り上げ一兆円を記録した。昭和六十三年には、プロ野球南海ホークスを買収、福岡ドーム建設に着手。また、神戸の学園都市に、流通科学大学を開校した。

「この人に詩人の一面があることは意外に知られていない。

『今は悔いず 冬枯れの丘 駆け下る』

 これは、応召を目前に控え、神戸高等商業を卒業する折りの句。そうやって、今日までずっと『疾走』してきた」(「文藝春秋」昭和六十三年九月号「日本の顔」より)

 写真はこのとき撮影。

「『これからの時代は情報量の多寡が勝負。だから、ボクも一年に百日くらいは海外へ出て歩き回るよ』

 もちろん、日本にいる時も同じである。はじめて会う人は、その健脚ぶりに驚く。この社長執務室も、まさに世界中の情報をわが手に得ようとでもするように、常に臨戦態勢だ。

『今だって、一寸先は闇や、いつ砲弾が飛んでくるかわからんのや、そう思ってる』」(同前)

 九〇年代、バブル崩壊の影響を受け、地価上昇を前提とした店舗展開が厳しくなり、業績が低迷し始める中、阪神淡路大震災により、大きな打撃を受けた。

 平成十三年(二〇〇一年)、ダイエー会長を退任、平成十六年には、私財からダイエー関連資産を一掃し、完全に決別した。翌平成十七年、脳梗塞で倒れ、療養中に不帰の人となった。

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