書評

おーい、座布団贈れ

文: 石井 英夫 (コラムニスト・元産経新聞論説委員)

『完本 紳士と淑女』 (徳岡孝夫 著)

 同欄はまた世の権威を認めようとせず、既成の評価にも組みしなかった。森永グリコ事件の犯人が「けいさつのあほども……」と始まる脅迫状を送りつけてきた時も、その文章をほめて「宮沢賢治のあのセンチメンタルな『雨ニモマケズ』など、とうてい足元にも寄れないこの雄渾の詩心」と言い切っている。賢治がなんぼのもんじゃいという心意気を示していた。

 そうかと思えば、時に非紳士的で反淑女的なきわどい表現も平気で使った。いや、察するところ、それは筆者の大いなる好みでもあったらしい。たとえばクリントン(52)とモニカ・ルインスキ(25)の問題でも、セクハラだの不倫だのと書くから何のことかわからない。手取り早く「吸茎」「吸陰」と書け、と主張した。「大統領は忘我の境に入り、性器の先端から乳白色の液体が噴出してモニカのダークブルーのドレスを汚した」と。

『諸君!』の休刊と期を一にして徳岡さんは病いを得、自らの手でコラムの幕を下ろした。巻をまとめて新たに書いた「まえがき」が泣かせた。

 〆切りの日、徳岡さんは横浜某駅ショッピングモールにある食堂でポークカツとビール小瓶一本をとることを三十年間の習慣とした。それは原稿を受けとりにくる学生アルバイト君にご馳走してやるためでもあった。辞退した学生は一人もいなかったそうだが、そんなメニューが中高年名文家の健康をどれだけ損ねたか知れまい。

 幕引きといえば、二〇〇七年五月号にこんなくだりがある。

 三遊亭円楽(74)が高座で「ろれつが回っていない。これ以上、恥をかきたくない」と語って引退した話だ。円楽が司会したテレビの『笑点』と同じくらい「紳士と淑女」欄も続いた。自分はペンを操って拙い芸を見せているが、近年、老いはますます顕れてきた。しかしその円楽は死んだわけではない。この先まだまだ病んだ老人の寂しい人生は続くだろう。その孤愁をおもいやって「おい誰か、円楽に座布団一枚やってくれ」とコラムを結んでいる。

 それにならって言おう。

 三十年間お疲れさんでした。おーい誰か。筆を擱(お)いた「紳士と淑女」子にも、ポークカツとビール小瓶を届けてくれ。ついでに座布団の五、六枚を贈って、ゆっくり休んでもらってくれ。

完本 紳士と淑女
徳岡 孝夫・著

定価:1260円(税込) 発売日:2009年09月17日

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