往年の月刊誌『諸君!』には、前と後にたくみな落とし穴が仕掛けられていた。
つまり前門の虎が巻頭コラム「紳士と淑女」で、後門の狼が巻末コラム「笑わぬでもなし」。読者は一度この落とし穴にはまると、どう藻掻(もが)いてももう逃れることができないのだった。
巻末の「笑わぬでもなし」には、年を経た鰐(わに)こと山本夏彦が笑うでもなく笑わぬでもなしに紛然と蟠踞(ばんきょ)していた。さて巻頭の「紳士と淑女」の心憎い手だれの筆者はだれなのか。
かつての遊里・玉の井には「この道抜けられます」という偽りの看板があり、嫖客(ひょうかく)がうかうか入りこむと紅唇のお姐(ねえ)さんに、まんまとからめとられた。同じように雑誌入り口にある「紳士と淑女」欄を読んだ客は、たちまち魅惑の魔界に誘いこまれ、諧謔の袋小路で思索のトリコになった。しかしこの凄腕の筆者は何ものなのか、その名は固く伏せられていた。
それが徳岡孝夫さんだと私が知ったのはいつごろだったろう。昭和五十年代の終わりから六十年代にかけて、山本夏彦さんを囲んで徳岡孝夫さんなどと一緒に飲む会がしばしばあった。場所は浜町河岸の鳥安やうなぎの神田川、前川など。横浜・三溪園の料理屋は徳岡さんのおごりだった。
その席で、徳岡さんが口にする卓抜なジョークや風刺の修辞が、翌月の「紳士と淑女」にきまって登場してくる。これはどうしたことか。
オヤといぶかり、ハハーンと思い当たって、そうかあの毒ある名文の主は、この人を措いてないなと得心したのだった。
さて、こうやって三十年に及ぶ「紳士と淑女」の執筆活動が集大成されたものを手にとって、改めて脱帽した。脱帽するほかなかった。三十年のコラムがことごとく(といってはばからない)正鵠(せいこく)を射ているからである。
「紳士と淑女」の筆誅の的となったのは大内兵衛、家永三郎、羽仁五郎、美濃部亮吉、小田実、大江健三郎……といった反日文化人やリベラル知識人で、同時に一貫して朝日新聞が徹底してたたかれた。
「私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」(『「豆朝日新聞」始末』)と書いたのは山本夏彦だったが、実際、朝日新聞はこの日本の世論をミスリードしつづけ、この国の針路を誤らせつづけた。中国報道にしろ、安全保障問題にしろ、はたまた“従軍”慰安婦問題にしろ、「紳士と淑女」子の朝日批判はことごとく当たっていた。
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