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消費税導入を実現した「政界のおしん」竹下登

消費税導入を実現した「政界のおしん」竹下登

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」との名言を残した「政界のおしん」、竹下登は、大正十三年(一九二四年)島根県生まれ。旧制松江中学を卒業後、早稲田大学商学部に入学。昭和二十二年(一九四七年)、大学卒業後、郷里で英語の代用教員となる。

 地元の山林大地主の支援を受けて、県議会議員となる。そして、昭和三十三年、三十四歳の若さで衆議院選挙に立候補し、初当選。同じ初当選組の金丸信、安倍晋太郎とは長く盟友関係を続けることになる。

 自民党内で佐藤派に所属し、早大雄弁会の先輩である橋本登美三郎にかわいがられた。昭和三十九年、佐藤内閣が成立すると、橋本官房長官のもとで官房副長官になる。昭和四十六年、歴代最年少で第三次佐藤内閣の内閣官房長官に就任。その後、田中派に所属し、田中内閣でも、再び官房長官となる。金脈問題で田中内閣が倒れたあと、三木内閣で建設大臣、さらに大平内閣、中曽根内閣で大蔵大臣と要職についた。

 昭和六十年、長らく仕えてきた田中角栄に反旗を翻して、創政会を旗揚げする。直後に田中角栄が脳梗塞にたおれ、田中派は創政会と二階堂派に分裂。中間派を取り込んだ竹下は、自らの派閥、経世会を設立、党内第一の派閥となる。

 昭和六十二年、安倍、宮沢喜一と中曽根内閣の後継を争ったが、首相の裁定により、第七十四代内閣総理大臣に就任した。在任中に日本初の付加価値税である消費税導入を実現したが、リクルート事件が発覚、政権を失うこととなった。首相退陣後も、後継政権に影響力をもったが、佐川急便事件で自民党不信が高まり、非自民党勢力による細川政権の誕生で、ついに自民党は下野することとなった。写真は昭和五十三年撮影。平成十二年(二〇〇〇年)没。

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