「うちの町では、三機のB29の噂は有名でね、地平線の猫チェリーの名前も結構知られてたわけ。だから、この間もあのバンドのアルバムの話の時、なんかぽろっと出ちゃったんだよな」
「すごくいいと思います」大袈裟に感動の声を上げる一方、桃沢瞳は、「そっちの話題はどうでもいいから」と言いたくて仕方がなかった。「でも、B29の謎って、何だか不思議ですね。嘘だとしても、興奮します」
「嘘ではないさ」
「え」
「俺の父親は当日、不忘山の現場でいろいろ拾ったみたいだし」
「いろいろ?」
「ここだけの話だけど、たとえば」
こっそりと秘密の話をするかのような仕草だったため、桃沢瞳は大事な言葉を聞き逃すまいと耳を近づけたのだが、そこで隅田がふっと息を吹きかけてくるので、短い悲鳴を発してしまう。やだ、やめてください、隅田さんたら。嫌悪感で相手を突き飛ばしたくなるのをこらえる。
さらに、隅田の自慢話は別方向へ進んでいく。「当時、うちの町にはよく、ビラが落ちてきたらしくてさ。対日宣伝ビラって、知ってる?」などと言い出す。「敵の士気を下げるために、ばら撒いたビラだよ」
「ビラ?」
「アメリカ軍が空から、落としたやつ。『四面楚歌。降伏せよ』と日本語で書いてあったり、『ここが爆撃される。逃げろ』と攪乱(かくらん)させるものとか。『何事も相談!』と書かれたのも見たことがある。面白いだろ。イラストつきでさ、裏には、『わが軍司令官と相談してはどうでしょう』とかあって。丁寧な口調なのが味わい深い」
「へえー、面白いですね」話を合わせながらも、桃沢瞳は苛立ちを隠せない。「何でも知ってるんですね、隅田さん」
「うちの実家に行けば、いくつもまだ残ってるよ。『宣伝ビラは、戦時中のマスメディアだった』って話は聞いたことない? 俺は、あれを見ているうちに、言葉で人を動かしたり、宣伝の心理戦みたいなのに興味が出て、だから広告業界を目指したんだ。それがそもそものはじまりだったんだよ」
桃沢瞳はどうやって話を戻そうかと頭を回転させていた。「わたし、そういうのまったく知らないから、今度教えてください」
「あ、ほんと? 今度、実家に戻るから面白いビラ、写メで送るよ」
メールアドレスを交換するきっかけができたと、内心はしゃいでいるのが透けて見える。桃沢瞳としても断る理由はなかった。今日が駄目でも、話を聞き出す機会をまたつくればいいのだ。
「俺の親父も本を出そうとしたことあったな」
「そのビラの?」
「違うよ」隅田が笑う。「不忘山のB29の謎のこと。俺の子供の頃にね。原稿用紙をどかっと買ってきて、ちょっと書いていたみたいだったな。親父は、若いころジャーナリスト志望だったし」隅田は目が据わりはじめている。ホテルに誘う段取りを必死に考えているに違いない。話はどんどんとずれていき、やがて隅田は、「報道カメラマンとして有名な、キャバクラ嬢は誰だか分かる?」などとクイズを出してきた。
どうせ、広告業界やジャーナリストの間で使い古されている、くだらない駄洒落なのだろうとは推察できた。
桃沢瞳は、「えー、分かるわけありませんよー」ととぼけたものの、少し面倒になり、「もしかして、ロバート・キャバ?」と正解を言い当てる。
第3回「野暮用があってな」は2月4日(水)07:30公開です。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。