『坂の上の雲』の読者は、作品中で登場人物たちによって発せられた、さまざまな言葉に魅了される。その多くは登場人物に関する文書や伝承から取られているが、今回、『「坂の上の雲」100人の名言』を執筆して改めて思ったのは、言葉を活かすのは、それを支える枝と、そして幹だということである。
この新書では、司馬遼太郎自身の名言は集めていないが、私たちは『坂の上の雲』文庫版の第8巻に収められた6つの単行本版の「あとがき」に、この作品をめぐる興味深い言葉を見出すことができる。
「小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズをつくるほどの厳密さもないことである」〔あとがき1〕
単行本版第1巻に付した「あとがき1」は、日露戦争に流れ込んでゆく日本人の歴史を書き進むにあたっての意気込みが感じられる。このとき司馬遼太郎は、自らの歴史小説の手法にいささかの不安も感じていなかった。ところが、この物語を書いていくにつれ「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい」〔あとがき4〕と思い始める。この作品は司馬という小説家にとっても1つの転機だったのだ。
「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である」〔あとがき1〕
もちろん、「幸福な楽天家」たちが、豊かな生活をしていたわけではなく、つらい体験の連続だった。しかし、「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」〔同〕。これがこの作品の太い幹といえる。
「旅順攻撃というのは、日本人にとってはきわめて不幸な事件であり、その不幸を象徴しているのが乃木希典である」〔あとがき4〕
乃木について『殉死』(文春文庫)では「無能」という言葉で激しく批判したが、ここでは巨視的な見方をしている。とはいえ、「多少、乃木神話の存在がわずらわしかった」〔あとがき4〕。また、乃木の記述について批判もあった。批判に対しては「べつに肯綮(こうけい)にあたるようなこともなかったので、沈黙のままでいた」〔同〕と記している。