- 2013.07.26
- 書評
半沢直樹と歩んだ十年
文:池井戸 潤 (作家)
『オレたちバブル入行組』 『オレたち花のバブル組』(池井戸潤 著)
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ドラマ『半沢直樹』が絶好調だ。原作『オレたちバブル入行組』が生まれたのは、十年前。物語に込めた思い、半沢誕生の秘話とは――
ドラマ『リーガル・ハイ』などを観ていて、堺雅人さんはいい役者だなぁ、と思っていたんです。舞台出身の役者は、たとえ観客が三十人でも、狭い空間で同じ空気を吸うようなごまかしの利かないところでやっているから、絶対に強いと思う。僕は原作のドラマ化や映画化に際して配役に口を出したりはしませんが、漠然と堺さんがいいなと思っていた。そしたら、たまたま演出の福澤ディレクターが堺さんで行きたい、と仰って下さって、まさに理想の配役になりましたね。
この『半沢直樹』シリーズは、今からちょうど十年前に、「別册文藝春秋」で連載が始まりました。一作目を単行本にまとめるとき、『オレたちバブル入行組』というタイトルじゃダメだ、と営業部の人に言われたのをよく覚えています。その時に提案されたタイトルが、『融資課長』(笑)。当時は企業を書くと、情報小説的な「企業小説」しかないというイメージだったから、それらしいタイトルを、というわけです。僕はそれを突っぱねて、物語風のタイトルにした。確かに大手都市銀行が舞台ですが、この作品は企業を書くのではなく、そこにいる人間を書くことが目的なので、読者にはエンタテインメントとして読んで頂きたかったんです。だから、企業小説風のネーミングとは、そこできっぱり決別しました。その作品が結構受け容れられて、続編(『オレたち花のバブル組』)を書くことになって、それもまたウケて。サイン会をやると、『半沢直樹』の続編はないんですか、とよく読者に言われました。それで、そんなに待ってくれているんだったらと、二○一〇年に『ロスジェネの逆襲』を、今年から『銀翼のイカロス』を、「週刊ダイヤモンド」に連載することになりました。
僕自身、「バブル入行組」だったわけですが、僕が経験したことはあまり書いていません。それよりもっと大事なことは、自分に一番近い年代の主人公にした、ということ。この小説を書く前に、十作ほど書いていたんですが、小説の書き方が、プロット重視から人物重視に決定的に変わってきていたんですね。それまでの僕は、登場人物は登場人物としてしか考えていなかったと思うんです。でも読者は本当にいる人間だと思って、感情移入して読むわけだから、こちらも本当にいる人間だと思って人物をリスペクトして書かないと、読者の感情を引き寄せられない。だから、僕がわからない人物だと書けないと思うようになった。小説の登場人物には、そういう「シズル感」がないといけないと、僕は思います。
それまでの銀行小説というのは、銀行の悲惨さや陰惨さを暴露的に訴えるような、暗いものばかりでした。それには僕は飽きていたし、そういうものを書きたいとも読みたいとも思わなかったんですが、とはいえ、銀行内部を書けるのは僕の特技の一つですから、それなら今までに散々書かれた銀行ワルモノ論の作品をひっくり返して、銀行の中で人が生き生き動く活劇をやってみようと思った。そこで生まれたのが、半沢直樹という、「ありえない銀行員」です。
半沢はもちろん、ズバズバ物を言うんだけれど、一方でけっこう小狡い奴で、相手を罠に嵌めたりもするんですよ。単純に正論ばかり言っている奴って、つまらないでしょう?(笑)でも半沢は、政治的な動きもできるし、権謀術数を駆使もできる。清濁併せ飲むヒーローなんです。だから、サラリーマンの皆さんは、決して半沢の真似をしてはダメです。出向になったり、下手したらクビになりますよ(笑)。皆さんの言いたいことは、代わりに半沢が言ってくれます。
原作を読んだ人によく、「銀行って怖いところですね」と言われるんですが、あまり本気にしないでくださいね(笑)。だいたい僕は、国税局の査察は横目で見たぐらいで、金融庁の検査も全く経験していない。経験をそのまま書いたり、取材を綿密にして書く、ということは、まずしないんです。枠組みはともかく、ディテールは全て想像で書いていますから。それでも、意外に間違ってはいないんですけれどね。『ロスジェネ~』では、半沢の出向先の部下にロスジェネ世代の森山がいて、半沢も部下の扱いにはかなり気を遣っていたりもしますが、僕はロスジェネの部下を持ったこともありませんからね(笑)。ロスジェネ世代の人たちは傷つきやすくて、噛んで含めるようにして言わないと、すぐに会社を休んじゃったりしますよね。銀行ってそもそも、絶対的な稟議の期限があって、稟議が期日までに通らないとリアルに倒産企業が出ますから、本当は個人の事情なんて勘案されないんですが、ロスジェネにはロスジェネの人の言い分がありますから。僕個人としては、待遇に不満があるとかで悩むのは、贅沢病なんじゃないの、と思ってしまいますが(笑)。
銀行がどういう場所か知らない人が読んでも、これはフィクションなんだ、って思ってもらえるように、たとえば黒崎駿一(『オレたち花のバブル組』で半沢と対決する金融庁検査官)をオネエキャラに仕立て上げて、「これ、ウソですからね、本気にしないでね」というエクスキューズをそこはかとなく入れているつもりなんです(笑)。悪役って使い勝手がいいんですよ。悪いことの幅ってものすごく広いし、悪役がたまにいいことをするとホロッときちゃったりする。警察小説と違って、サラリーマンを書くと、どうしても人物の立ち位置や背負っているものによって、善悪の意味も変わってきますからね。物語の奥行を広げるためには、悪役をうまく使うしかない。ドラマでも、黒崎役の片岡愛之助さんが板についていて、いいキャラに仕上がっている(笑)。いま連載中の『銀翼のイカロス』で、黒崎をまた登場させたくなりました。
『半沢直樹』シリーズに共通して言えるのは、小さい話を書くつもりはない、ということ。足元にある石ころを拾い上げて意味付けするような、そういう話には全く興味がないです。もっと大上段に振りかぶってバサッと斬るような話が、このシリーズにはピッタリくる。最新作でも、敵はナショナルフラッグの「帝国航空」で、おそらく半沢はこの後、政治家=国家権力と戦っていくという展開になると思います。
一作目で半沢は三十八歳くらい、二作目では四十一歳くらいで、二~四作の間はほとんど時間が経っていないので、いまの半沢は四十二歳くらいでしょうか。シリーズ開始から十年経っているわけですから、これじゃ作者の方が先に死んじゃいますね(笑)。正直に言うとこのシリーズでは、半沢を頭取まで出世させたくないんです。イギリスの作家セシル・スコット・フォレスターの海洋冒険小説『ホーンブロワー』シリーズでは、主人公のホレイショ・ホーンブロワーは、海軍士官候補生から始まって、最後は海軍元帥になるんですが、一番面白いのは、ちょっと偉くなりかかった頃の活躍なんです。人って偉くなってくるとだんだんつまらなくなっていく。銀行でいうと、次長か調査役ぐらいが一番面白いと思います。上にも下にも敵がいて、そんなに権力があるわけでもない。権力がないから、知恵で戦っていくしかない――それくらいのバランスが、ちょうどいいんじゃないかな。権力を振るって物事を解決する奴って、はっきり言ってヤな奴でしょう(笑)。
このシリーズ、女性読者にもぜひ読んで頂きたいです。僕は自分の小説のキャッチフレーズに、「企業小説」、「サラリーマン小説」、「オジサン」という言葉を、意図的に使わないようにしています。『半沢直樹』シリーズは、サスペンスでもあるし、確かに男の登場人物が多いですが、全ての働く人のための小説でもあります。そして、読者がまた望んで下さるなら、ずっと半沢で新作を書き続けていきたいと思っています。