──「古備前」は、鮨(すし)職人の親方と弟子の物語です。伊集院さんの小説には、鮨職人が出てくることが多いですね。
伊集院 仕事以外で、一番長く過ごしているのは鮨屋ですからね。日本中、どの町に行っても、鮨屋には必ず顔を出しています。鮨というのは、客との会話を最も大切にする料理です。会話がないというのも、会話です。そこが面白い。
──この小説では、親方の少年時代と、弟子の悠の人生が交差していきます。親方が子供の頃、学校で大切にしていた花壺を壊してしまいます。母親は土下座して校長に詫びますが、校長が、やさしい声で、「この学校には子供がこわして困るようなものは何ひとつ置いてありません」と語りかける場面が印象的です。
伊集院 これは、実際に私が体験した話なんです。子供のときに学校の花壺を壊して、お詫びに来た父親に校長がこういってくれたんです。この小説では、「ものは必ず壊れる」ということを書きたかったんですが、校長のエピソードは、今回の小説にうまく使えたかもしれません。
──「トンネル」、「腕くらべ」は約十七年前、伊集院さんの自伝的小説「海峡」三部作をご執筆中の作品です。
伊集院 長篇を書いているときに、そこで書けない世界を短篇で書いてみたいと思って、生まれた小説です。井伏鱒二の「山椒魚」などが代表的ですが、短い枚数の中に、大きさ、深さというものがある。多くを語らずとも、語りかけるものがある。そういう力が小説にはあります。
この小説には、私が実際に弟を亡くしていることが投影されています。「海峡」でもそのことを書いていますが、「海峡」の主人公はそれを克服していくけど、「トンネル」の主人公は、その悲しみを克服できない。その孤独感、哀切を描いてみたかった。
──一方、「腕くらべ」はあねさまと呼ばれる旧家の女性とその義弟の話です。
伊集院 この小説は、柄の大きな女の人が昼寝をしているシーンを書きたかった。子供の頃、軍隊アリで肝試しをしていた体験、あの頃、中国地方に残っていた旧家の屋敷の中を覗いてみたいという思いから生まれました。
──この短篇は、思春期に抱くエロチシズムを感じさせる作品です。
伊集院 女性が屋敷の中で一人で酒を飲んでいる場面とか、あねさまの口にアリが入り込むところなどにエロチシズムがあるかもしれませんね。
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