──この赤ん坊は、炭焼き小屋の老夫婦に貰われ、お寺の和尚から教育を受けることで、学者の家へ養子として迎えられるようになります。捨てられてしまった子が、ある家に貰われて成長するという構成は、昨年発表なさった長篇小説「羊の目」を彷彿とさせます。
伊集院 私が子供の頃は、貰われる子供が多かったんです。食べていけないから養子に出されたり、双子のうち片方が出されたりしていました。クラスにもそういう人がいて、子供心に「大変だろうなぁ」と思っていた。だからといって、その子たちが暗く生きている、というわけじゃない。皆、当たり前のようにいたんです。子供の名付け親が、お寺の和尚というのも多かった。
──この作品では、和尚が人生の師として主人公のノブヒコを導いていきます。ノブヒコが学者の家へ養子に貰われるとき、和尚は「励め」と語り、彼の頭をそっと撫(な)でます。三年半、和尚の元で学んできたノブヒコは、ここで初めて和尚から温かい言葉を掛けられます。
伊集院 この和尚は、いままで自分が師として仰いできた方々のことを思い出して書いています。亡くなった方も多いのですが、もしあの方たちが九十歳まで生きたら、いまの自分にどのようなことを言うだろうかと、考えながら書きました。
──最近の教育の風潮は「褒(ほ)めて伸ばす」ですが、この和尚さんはその対極にあります。
伊集院 和尚の姿勢というのは、私の子供の頃の育て方で、私はそれがひとつの正しい方法だと思っています。教育というのは、自立精神・自主精神を育てることであり、本当に肝心なことを教えるべきだと思います。
──ノブヒコは、父の後をついで植物学者になり、天皇陛下に御進講するまでの人物になります。その大人になった少年と病床の和尚が再会するシーンが小説のラストに描かれますが、そこでも和尚は「なお……励め」と語りかけます。ここは、単行本で加筆された部分です。
伊集院 「励め」という言葉には、「生きなさい」という気持ちを込めています。どんなことがあっても、生き続けろ、と言っているのです。雑誌発表の短篇としては、こういう場面は書かないほうがキレがいいと思います。しかし、単行本として残すには、変な余韻を残すよりも、爽やかな余韻を残したほうがいいと思い、加筆しました。
──雑誌発表のときには、「笛の音」というサブタイトルは付いていませんでした。
伊集院 笛は親が手の不自由な少年へ、指がよく動くようにと渡してくれた親子の繋がりの象徴ですし、少年が淡い恋心を抱く使用人のキヨエと一緒にホタルを見るときに、笛を吹く場面もありますからね。短篇の中で、五感のどこを動かすのか、読者にどんなふうに感じてもらうか、というのは難しい。ただ、匂いとか音色といった聴覚、嗅覚、視覚といったものがある小説は、人が読んでいて、ちょっと体が止まるというのかな、そういうものを含んでいます。
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