2014.09.22 文春写真館

久世光彦は昭和の不良少年の心を表現し続けた

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

久世光彦は昭和の不良少年の心を表現し続けた

 舞台は昭和四十年代の下町の石屋。畳にちゃぶ台、ご飯に納豆の朝食に七、八人の家族が集う。巨漢で強面の家長が小林亜星、浪人生の長男が西城秀樹、ドライな祖母が樹木希林。やがて言い争いになり、父と息子の取っ組み合いの大喧嘩に、ちゃぶ台がひっくり返る……。

 ドラマ「寺内貫太郎一家」は、昭和四十九年(一九七四年)にTBS系列で放送が始まり、平均視聴率三十一・三%を記録した全三十九話の人気シリーズだ。

 脚本は向田邦子、プロデューサーが久世光彦(くぜてるひこ)だった。

 昭和十年、東京生まれ。戦争中に富山に疎開して中学・高校時代を過ごし、浪人時代に再び東京に。

 東京大学文学部美学科を卒業後、TBSに入社し、「寺内貫太郎」のほか「時間ですよ」「ムー一族」などのヒットを生むが、不倫の発覚から退社。テレビ制作会社を設立し、演出家、作家、作詞家としても活躍し続け、平成十八年(二〇〇六年)に七十歳で心不全により亡くなる直前まで仕事を抱えていた。

 ドタバタ喜劇の中に庶民の真情をのぞかせるドラマが久世の真骨頂だったが、作家としての作品にはエロスに満ちた耽美的・懐古的なものが多く、『桃』『怖い絵』のような小説から、『マイ・ラスト・ソング』『大遺言書』などのエッセイまで、独特の陰影で読者を魅了した。

「あのころ、女の子と過ごした貧しい宿の夜には、いつもあのアコーディオンの音が流れていたような気がする。《うたごえ》を盛り上げるための高揚した音のはずなのに、どうしてかたまらなく侘しかった。部屋の隅に脱ぎ捨てたズボンの裾の汚れを、ふと思い出させるような暗い音だった」(『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』

 戦前の価値観を基盤としつつも、戦後の混乱と大衆文化のエネルギーに共感し、その狭間に引き裂かれた、昭和の不良少年の心を表現し続けた一人である。写真は平成三年撮影。

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