文春写真館

借金王藤山寛美がなりたかった銀行の貸付係

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

借金王藤山寛美がなりたかった銀行の貸付係

 藤山寛美は昭和四年(一九二九年)生まれ。父は関西新派の俳優だった。四歳にして初舞台に立つ。都築文男に師事したのち、渋谷天外に誘われて松竹家庭劇に移る。戦時中、皇軍慰問隊として奉天滞在中に終戦を迎え、一時ソ連軍に抑留された。昭和二十二年帰国後、松竹新喜劇の結成に参加。「桂春團治」での酒屋の丁稚役が評価され、一躍人気役者となる。  

 破格の金遣いの好さで、遊び人として勇名をはせ、大阪では「北の雄二(南都雄二)かミナミのまこと(藤田まこと)、東西南北藤山寛美」とまでいわれた。昭和四十一年、一億八千万円もの負債を抱えて、自己破産。松竹と松竹芸能は彼を解雇した。

 その借金王がなりたかったというのが、銀行の貸付係だった。

〈私はどういったものか子供の頃から人が欲しいといったものはなんでもあげてしまうクセがあります。大人になってからも、ライター、万年筆、ネクタイピンなど「よろしおますなー」と言われれば、「気にいったか、やるわ」と、すぐあげてしまいます。しかし、こと現ナマとなるとそうはゆきません。第一、本人が持ってないのやさかい… しかしこの現ナマを自由に自分一人の考えで「よっしゃ、持っていき…」と、ポンとなげ出せる職業というたら、銀行の貸付係しかおまへんやろう、いっぺん、これになってポーンと札束を目の前につんでやったら気持がスーッとしますやろ〉(「週刊文春」昭和三十九年八月二十四日号グラビア「私はこれになりたかった」より)

 その後、松竹新喜劇の低迷もあって、松竹は彼の負債を立替え、舞台に復帰させる。芝居当日に客のリクエストを受け付けて演目を決める「リクエスト公演」など奇抜なアイデアで人気を博し、二十年間休みなく芝居を続け、ついに借金を完済した。

 平成二年(一九九〇年)没。

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