書評

戦国土佐の名将の情愛と悲運

文: 山本 一力 (作家)

『朝の霧』(山本一力 著)

「長さんとの出会いがなかったら、俺が戦国ものを書くことはなかっただろうね」

 山本一力さんが親しみをこめて「長さん」と呼ぶのは、四国の覇を競った長宗我部元親の末裔にあたる、長宗我部友親さんのことだ。互いに高知出身のふたりは出逢ってすぐに意気投合。四方山話をする中で、心に響いたのが、土佐七色紙の祖とされる、養甫というひとりの女性だった。

「養甫は元親の実の妹で、非常に美しい人だったとされています。波川玄蕃という武将のもとに嫁ぎ、男の子三人、女の子一人の子宝に恵まれた。最初は政略結婚だったとしても、愛情のある夫婦だったようです。しかし、こともあろうに兄の元親が、やがて夫を死に追いやり、その弔い合戦で長男と次男も若くして亡くなりました」

 遺された養甫は、戦場の仁淀川の石を着物の袂に拾い集め、山の上までそれを運んだ。夫と息子らの供養のためである。その後、関ヶ原の戦いで豊臣側についた長宗我部家が敗れ、徳川政権により山内家が移封されてきた時には、山内家に土佐七色紙を献上。両家の融合を計ったとされる。

「土佐生まれの俺も、長さんに話を聞くまでは、養甫も波川玄蕃のことも知らなかった――長宗我部は地元の英雄だし、それに敵対した玄蕃のことは史実に悪く残っていても、いい形では伝えられていません。酒癖が悪く、女にだらしがなくて……。でも、養甫ほどの女性が連れ添った男が、その程度の人物なわけがない」

 現地のいの町へ取材に向い、実際に養甫が運んだ袂石や、玄蕃と家臣たちの祀られた墓を見ているうちに、一力さんの中では、伝承とは異なる勇将の姿が浮かび上がってきた。

「最初は養甫が主人公だったのに、気がついたら波川玄蕃という人物が大きくなっていました。ある対象物を書こうとして準備をはじめたら、違う方向へ物語が進んでしまうのはよくあること。物書きの都合で、登場人物たちは動いてくれません(笑)。それだけ人が動いているんですね」

 その結果、本書は、元親による玄蕃城への水攻めへの駆け引きにはじまり、知恵と胆力があり、部下にも領民にも慕われた名将・玄蕃の生涯が、そこに寄りそう妻・養甫の情愛とともに描かれることとなった。

「武将ものを書くのは、本当に大変だと書くほどに思いました。死は間違いなくすぐ隣り合わせにあることを、彼らは意識して生きていた。これをどう書くかを常に考えていました」

 かけがえのない人の亡き後の養甫を、いつか書いてみたいともいう。

朝の霧
山本一力・著

定価:1575円(税込) 発売日:2012年02月25日

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