投稿時代のいいところは、納得のいくまで何度でも推敲(すいこう)し、書きなおすことができた点でしょうか。
当時のデータを見てみましたら、「夏光」は二十回以上全面改稿していました。
第一稿は、舞台が現代で生き別れの双子の話でした。
びっくりするほど別物でした。
これほど一つの物語に執着し、少しでも、一文字でも良くしようとやりなおす。
そういうことを、なんとなく忘れかけていた気がして、反省しました。
一方で、当時と変わらない点もありました。
収録作の一つである「は」は、某賞に投稿したものを手直しした小説ですが、作中のほぼ全シーンがお食事です。ものを食べるシーンをなるべくおいしそうに描写するため、鳥頭の私が苦肉の策で考え出したのが、「お腹が空いているときに書く」でした。これは今も同じです。どれほどの効果があるかは分かりませんが、私にはこの方法が合っているように思います。
そういえば、この「は」は、収録された短篇の中で最も古いものです。これだけワープロ(!)で書きました。ワープロを処分する際、フロッピーに入った「は」のデータだけプリントアウトして残しておいたのですが、良かった、捨てなくて……。
ゲラを読み返して、「この一冊で、私の書きたいことはすべて書き終えているのではないか」とふと思いました。
思い返せば、当時も手の内を全部晒(さら)すつもりで書いたのでした。この一冊で消えてしまってもいい覚悟で。
三年後の今、細々ながらも書く場が与えられているというのは、ものすごく幸福で運のよいことと痛感します。
ノロウイルスにはここ十年で三度やられても、くじ的なものは一切当たったことのない私は、きっと書くというこの分野で限られた運を使っているのでしょう。
いつこの運が途切れてしまうか。今から三年後には、小説を書くという場から姿を消しているかもしれません。うーん、なんとなくそうなる気がする。くじは外しても、悪い予感はわりと当たるのです。
でも、だからこそ、現在の幸福を宝物として、この先も忘れずにいたいです。
ところで、ノロウイルスで思い出しました。最後に収録されている「風、檸檬(れもん)、冬の終わり」という短篇は、「オール讀物」に掲載していただいたのですが、ちょうどそのゲラが届いたのが、感染真っ最中のときでした。トイレとベッドを何度も往復しながら必死で作業しましたが、このゲラにウイルスついちゃってるんじゃないかなあ、とずいぶん心配しました(もちろん手は都度〈つど〉ちゃんと洗いましたけれど!)。オール讀物編集部員集団感染、なんていうことになったら、ちょっとしたバイオテロです。当時の担当Kさま、大丈夫でしたか? 今さらですが、安否を確認してみました。
なんだか最後は汚い話になってしまいましたが、文庫には決してウイルスはついていません。もしお手にとってくださる方がいらっしゃいましたら、そしてお読みいただけたら、大変幸いに存じます。
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