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生涯にわたって「芸能」を追い続けた才人 小沢昭一

生涯にわたって「芸能」を追い続けた才人 小沢昭一

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 昭和四年 (一九二九年)、東京生まれ。両親は写真館を営み、当時撮影場のあった蒲田で少年時代を過ごす。旧制麻布中学で演劇部を立ち上げる。海軍兵学校に進むが終戦により退校、早稲田大学の仏文科に。終戦直後のガラス窓のない校舎で「庶民文化研究会」を創設(これは日本初の大学落語研究会である)。同時に、在学中より俳優座養成所生となり、卒業後に初舞台を踏み、以降、舞台、ラジオ、テレビで幅広く活動。また、今村昌平が大学の同窓であったことから映画界に入り、川島雄三監督の映画にも多数出演、脇役でも主役でも印象に残る個性派俳優として人気を博した。

 写真は不惑の年、昭和四十四年。この頃から、日本の伝統芸能の研究を志し、早稲田の大学院で芸能史を学び、全国を巡って放浪芸を蒐集。レコード「日本の放浪芸」を製作し、レコード大賞企画賞を受けた。

 昭和四十八年からラジオ「小沢昭一的こころ」が始まる。野坂昭如、永六輔と結成した「中年御三家」は昭和四十九年に武道館を満杯にした。

 俳優として、エッセイストとして、芸能研究家として、生涯にわたって現役であった。平成六年(一九九四年)の紫綬褒章をはじめ受賞歴多数。その後、前立腺ガンが見つかるが、長く伏せており、平成二十三年に「文藝春秋」誌上ではじめて公表した。二十四年九月に入院、その直前までラジオ「小沢昭一的こころ」出演は続けられた。

 多くの文化人に惜しまれつつ、平成二十四年(二〇一二年)十二月十日、八十三歳で死去。

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