浜口雄幸は明治三年(一八七〇年)生まれ。帝国大学法科卒業後、大蔵省に入省。大蔵次官を務めたあと、立憲同志会に入党、衆議院議員となる。加藤高明内閣で大蔵大臣、若槻内閣で内務大臣をそれぞれ務めた。
昭和四年(一九二九年)、張作霖爆殺事件の責任を取り、異例の形で辞職した田中義一内閣の後を受けて、第二十七代内閣総理大臣に就任する。その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれたが、料亭政治を嫌い、根回しを回避する謹厳実直な性格は、大衆の支持を受けた。
一貫して国際協調を掲げてきた浜口は、幣原喜重郎を外相に起用、軍拡から軍縮へと明治以来の国策を転換した。また、蔵相に井上準之助を起用し、緊縮財政へと舵を切った。軍部などの反対を押し切る形で金解禁を断行したが、輸出の減退を招き、デフレ不況を悪化させた。直後に世界恐慌が起り、社会不安を増大させる結果となった。
昭和四年八月二十八日、「経済難局の打開について」と題して講演、日本の首相ではじめて、当時最新のメディアだったラジオを通じて国民に直接自身の政策を訴えた。写真はこのときに撮影されたもの。しかし、こうした政策が右翼の反感を買い、昭和五年、東京駅で凶弾に倒れ、翌昭和六年八月に世を去った。
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