――新刊の『もう一枝(いっし)あれかし』は時代小説です。あさのさんの作品『ガールズ・ブルー』(文春文庫)や『バッテリー』(角川文庫)などは現代の少年少女を主人公にした小説ですが、あさのさんにとって時代小説はどのようなものでしょうか。
あさの 時代小説は以前からずっと書きたいと思っていましたが、藤沢周平さんの作品、特に短篇が好きだったことが大きいですね。藤沢さんのように時代小説で人を描いてみたいと。実は『バッテリー』を書いていた時に、私の最初の時代小説『弥勒の月』(光文社文庫)を並行して書いていました。児童、青春小説と違う大人の世界を書いてみたいという気持ちが強くありました。
――時代物の難しさ、一方、醍醐味があると思いますが。
あさの 例えば、カタカナで表わされる言葉や自分が今普通に使っている「自由」「自我」というような単語は当時ありませんでした。それを昔からある日本語でどういう表現で置き換えるか、制約である反面、表現力を鍛えられますね。
――青春小説ではあさのさんご自身の子育ての経験が生かされている部分があると思いますが、5つの短篇からなる『もう一枝あれかし』に体験やモデルはあるのでしょうか。
あさの モデルはないですね。新刊と同じ小舞藩を舞台にした『火群(ほむら)のごとく』(文春文庫)などは時代青春小説ですから『バッテリー』と重なる部分がありますが、この作品の登場人物は私自身の中から出てくるものだけで書いています。5つの短篇を通しての舞台、小舞藩は、時代小説を書いてきて、人物だけでなく土地、舞台そのものも自分で創造してみたいと考えて作りだしたものです。私は岡山県の片田舎に住んでいますが、そこにはまだ江戸の匂いが幾分残っているように思います。一月ほど前に、山裾に蛍が現れたのですが、東京ではもう見られないでしょうけれど、ここにはあります。その蛍がスッと藪に消えていく様子とか、雨が降った後の土の匂い、木の葉の翻る様子、自然が作る音、闇……江戸にはあっただろうものが、まだ残っていますね。その小舞藩を舞台に自分で手探りしてそこで生きる大人たちを描きたいなと思って書いたのがこの短篇集です。
――男の視線、女性の側の物語、5つの短篇にそれぞれの側面があるように感じました。
あさの 政治の中、剣士として、人間関係で「男の始末記」を書きたいと思って書き始めると意外に女の人が絡んでくるんです。男の物語は裏を返せば女の物語だったのかなあ、と。時代物を書いていると死を書かざるを得ません。特にタイトルにもなった「もう一枝あれかし」は男の生き様、死に様を書くつもりだったのに、女の生き方を書いていましたね。男は死を美化します。女は最後は生きることに帰ってくるのかなと、書いていて感じました。「もう一枝あれかし」という言葉は華道の言葉で、ずっと気になっていました。お花だけでなく人の生き方にも通じてくる言葉だと思います。この1篇はタイトルから引き出された物語ですね。
――花を活ける時の夫婦の会話からふたりの在り様が滲み出て、それだけに結末は衝撃的です。「風を待つ」も素敵な題名ですね。全体を通して大人の男と女の物語になっています。
あさの 若い人を書くと行動も心理も「動」の部分が出てきますが、大人では「静」、佇まい、所作、経てきたもの、抑え込まれてきたもの、心、年月を描くことになりますね。
――同じ小舞藩を舞台にした『火群のごとく』の続篇を期待する読者が多いようですが。
あさの 主人公の林弥と透馬のシーンがふっと浮かんできたりします。道場仲間で亡くなった源吾のお墓参りに行く場面とか。でもまだ、自分の中に構えがないのか、通り過ぎていく感じです。きっかけさえ与えていただければ。編集者との話し合いの中で、具体的になっていくといいですね。