書評

ハイジニーナの貴族たち

文: 柏木 いづみ (作家)

『ヒカル いろがさね裏源氏』 (柏木いづみ 著)

 きっかけは3年前の夏、六本木ヒルズで起きたあの事件です。

 高級マンションの1室で、銀座のホステスが全裸死体で見つかりました。彼女はある俳優との情事の場でドラッグを使用し、死に至ったと報道されました。容態が急変した女性のために救急車を電話で呼ぶこともせずに俳優はその場を去り、マネージャーに後処理を頼んだのだとか。

 事件について連日報じるワイドショーを見ながら、なにやら既視感めいた感覚が頭の芯に湧いてきました。以前、似たような話を読んだことがある。あれは、なんだったろう……? 数日間、喉に魚の小骨が刺さったような気分でいたあげく、やっと思い当たりました。 

 それはなんと、高校2年の夏休みに自由研究の教材として読んだ源氏物語でした。たまたま見そめた女性と逢引を重ねるようになった光君(ひかるぎみ)が、彼女をひと気のない寂れた屋敷に連れ込んだ夜のこと。突如、愛する女性が物(もの)の怪(け)に取り殺され、光君が大いに戸惑い嘆くくだりです。

 さっそく源氏物語をめくってみると(といっても文庫版ですが)、それは第四帖・夕顔の一場面でした。

 世界最古の長編小説であり、日本文学史上の最高傑作だからこそ、高校の恩師は自由研究の教材として源氏物語を選んだのでしょう。しかし、例の事件の主役だった俳優の色悪(いろあく)めいた表情を思い浮かべながら読み進めると……。紫式部の書いた物語が、わが国随一の官能小説のようにも思えてくるのです。 

 光君の奔放な性体験を現代に置き換えて翻案してみたら、さぞかし面白いポルノグラフィになるのでは……。そんな思いにとらわれた私は、国文学の先生が覗いたら呆れて怒り出しそうな、独自の源氏物語ノートを作りはじめました。

 第一帖・桐壺からはじまるノートが第十三帖の明石まで行きついたころ、大震災が発生。同時に原子力発電所の忌まわしい事故が起きました。

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ヒカル いろがさね裏源氏
柏木いづみ・著

定価:700円(税込) 発売日:2012年02月10日

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