- 2012.10.02
- 書評
新しい時代の学生像を描くユーモア・ミステリ
文:奥泉 光 (作家)
『黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』 (奥泉 光 著)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
昨年の『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』に続いて、桑潟幸一(クワコー)シリーズ第2弾、『黄色い水着の謎』を上梓します。
前作では、下流教師クワコーが新設のたらちね国際大学に赴任してきて、4月、5月、6月までの事件を描きました。今回はいよいよ夏。7月の期末テスト、8月の文芸部夏合宿、というふうに物語は進んでいきます。答案が盗まれたり、水着が紛失したりといった不可解な謎が読者に提示され、最終的にはそれが解決されるという、本格ミステリになっています。
舞台である千葉のたらちね国際大学は、いつ潰れてもおかしくない、日本有数の最底辺大学という設定です。当然、学生数の減少とか、学力低下とか、いま大学が抱えている現実の問題が、この小説にも深く影を落としています。それでもたらちねの学生たち、少なくとも文芸部員の女の子たちは、ものすごくしっかりしてるんですね。名探偵役のホームレス女子大生ジンジンなどは、大学構内にダンボールハウスを建てて自炊生活をおくっていたりします。偏差値は低いし、勉強はできないかもしれないけれど、生命力、人間としてのパワーがある。いまは学力よりも、むしろ学生の人間力、コミュニケーション力をどう培(つちか)っていくかで悩んでいる大学が多いので、たらちね国際は、戯画化したことによって、かえってある種の理想、ユートピアになりえているのかもしれません。
現実の若者たちは、ややもすると過剰なほど空気を読み、集団から排除されないよう気を遣っています。他方、文芸部のメンバーたちは、めいめいが勝手に発言してまったく噛み合っていないように見えるし、時には相手の質問を無視して応答しないことさえある。それでいて会話は弾むし、笑えるし、とにかく明るいんです。
これは、僕の考える理想の学生像みたいなものが文芸部の面々に仮託されているのかな、と思います。少々大げさに言えば、僕の思想の根底にある、自立的人間による共同体のイメージですね。つまり、人間が集団をつくるとき、互いの異質性を容認しあうことによって異質な者どうしが結びつこう、その原理を見いだしていこうという考え方です。社会的には決して恵まれているとは言えない立場にいる彼女たちが、徹底的に明るく、また幸福そうである。そういう人間関係のイメージを打ち出したいという思いは、シリーズを書き始めたときからずっと持っているんです。
さまざまな“声”を集めて
女子学生のほかには、たらちね唯一の男子学生モンジとか、今回が初登場となる近所のボーコー大(房総工業大学)の男の子たちの語りを、ぜひ楽しんでいただければと思います。
作者としては、この小説の中に、できるだけ多くの“声”を集めようと常に考えています。たとえばモンジは「クワコー先生、どもス。てか、オレ、先生にちょっと話、っつうか、ある種、告白?」みたいな語りをするバカな男の子なんですが、実際にこんなふうに喋る学生がいるのかというと、まあ、いないと思う(笑)。でも、作家は声を発明していいんです。発明した声がある種のリアリティを持てばいい。そうやってたくさんの声を集め、構成していくのが、小説を書いていてもっとも面白いところです。世界を発見していく感覚と言えばいいでしょうか。新しい声、新しい語りを発見することは、世界というものをひとつひとつ理解し、発見していくプロセスなんですね。
そのために心がけている、というほど大げさなものではありませんが、電車に乗ったときには人の会話に聞き耳を立てています(笑)。道端でも、テレビでも、ラジオでも、「お、面白い言葉を使ってるな」と思ったら、すぐにメモをとるようにしていますね。
この物語に登場するのは、主人公のクワコーをのぞけば、基本的には元気のいい若者たちです。元気のいい人たちを描くのは作者としても楽しいし、気持ちいい。でも、本当は彼女たちもあの明るさの裏に、苦悩や不安を抱えているんじゃないのか、と最近、思うようになりました。シリーズを重ねるうちに、登場人物たちが自由に動き始めて、作者の僕に、「私たちはこんな平板な人間じゃない」って言ってるんじゃないか、と(笑)。
シリーズの今後の展開としては、謎解きを柱にしつつも、ジンジンがホームレスをやっている理由とか、木村部長のお姉さんたち文芸部OGの実態とか、登場人物ひとりひとりの背景を掘り下げていく方向に進んでいくと思います。その過程で、徹底的な明るさやバカバカしさの中に、ある種の暗さみたいなものが滲み出るようになるといいのかな、と感じています。
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