傾国子女

第一回

文: 島田 雅彦

誰よりも貪欲に、正直に生きた女

2章 あの「枯れ美女」がわたしに取り憑いている!?

 それから一週間後。

 恋占いがよく当たると評判の占い師のところに一緒に行こう、と同僚の桃子に誘われた。谷本ヘレンの名前を知らない女は男に興味がない。

 誰がいったか、そういうことになっているそうだ。幸い、七海はその名前を聞いたことがあった。一年先まで予約で埋まっているのだが、運よくキャンセルが出て、急遽観てもらえることになったというので、七海は二つ返事で付き合うことにした。

 谷本ヘレンの「アトリエ」は赤坂郵便局裏の雑居ビルの元歯科医院だったところにあって、予約客用の待合室にはその名残りがあった。予約の時間より五分早く着いた桃子と七海は、何をいわれても、あとで正直に報告し合おうね、と約束した。前の客が奥の「診察室」から出てくるのをチラリと横目で見た二人は思わず、互いに顔を見合わせた。浮かない顔をして出ていったその客は、不倫がもとで辞職した、元国会議員だった。国会議員もお忍びで恋の悩みの相談に来るとは、かなり信頼できると考えていいと二人は期待した。

 予約を取った桃子が先で、便乗した七海が後から観てもらうことになった。ここ二年間というもの、恋も仕事も鳴かず飛ばずで、ヘレンの助言をきっかけに、大きく羽ばたきたいと、今年で三十になる七海は漠然とした期待を抱いていた。十五分ほどして、桃子がやけにさっぱりとした表情で、「診察室」から出てきた。一カ月以内に未来の流れを変える相手と出会うでしょう、と極めて具体的なことをいわれたという。この先一カ月、そわそわ、きょろきょろと、思い切り挙動不審になる桃子の様子が目に浮かぶようだった。

 入れ替わりに七海が「診察室」に入る。窓には遮光カーテンが引かれ、白い漆喰の壁には雨雲のような陰影が張りついていた。谷本ヘレンは二本の蝋燭の火が揺れるテーブルの向こうに座っていた。ほとんど日に当たらないのだろう。石膏みたいに白い顔が薄暗闇の中で光っていた。年齢は四十代後半と聞いていたが、自分とあまり年が違わないようにも見えた。肩口のあたりから漂う妖気に七海は思わず身構えてしまった。助手の人に椅子を勧められ、七海がヘレンの前に座ると、彼女は身を乗り出し、まじまじと七海の顔を覗き込んだ。自分の顔に何かついているのかと思い、七海は思わず頬に手を当てた。

 ヘレンはため息交じりに呟いた。

――あなた連れてきちゃいましたね。

――いえ、私が連れてきてもらったんです。

――違うのよ。あなたのここについているのよ。

 ヘレンは骨ばった手で自分の右肩を示す。七海は「え」といって、右肩越しに振り返る。視線の先にはただ壁があるだけ。

――何か見えるんですか?

――女の人の霊。その霊は自分と似た女を選んで、取り憑くんです。

――自分とよく似た女ってどんな女ですか?

――一言でいえば、業の深い女。

――ひどい。私って業が深い女なんですか?

 よく当たるというから、来てみたものの、初対面の相手にいきなり霊がついているなどと脅されるとは思わなかった。この上、除霊の壺や印鑑を買えなどといったら、暴れてやる、と七海は思った。

――あなたについているのは千春さんの霊です。

――はい?

――あなた、最近、誰かが死ぬ現場に居合わせたりしてません?

 それをいわれて、背筋に寒気が走った。確かに一週間ほど前、神楽坂の毘沙門天のそばで交通事故の現場に居合わせた。もし、そのことをいっているのなら、ドンピシャリだ。

――はい。美人のおばさんが車にはねられるのを見ました。

――その人よ。白草千春。

 あの「枯れ美女」は自分の名前を七海に告げて、死んだ。行きがかり上、遺言を聞かされたが、彼女がどういう人なのか、七海は全く知らない。

【次ページ】その道を極めた白草千春

傾国子女

島田雅彦・著

定価:1680円(税込) 発売日:2013年1月11日

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