香納諒一の代表作のひとつといっていい『贄(にえ)の夜会』に続く警視庁捜査一課大河内班ものである。『贄の夜会』は警察小説+サイコスリラー+フーダニットの面白さを追求していたが、今回はオーソドックスな警察捜査小説である。前作と比較すると、趣向に乏しいが、さすがにベテラン作家だけあって、テンポがよく、意外な展開であきさせない。
マンションの一室で少女の死体が発見される。後頭部からの出血があり、部屋まで逃げてきて死んだのではないかと、警視庁捜査一課強行班七係、通称小林班でデカ長をつとめる大河内茂雄たちは考えるが、被害者はそこの住居人ではなかった。
ネットカフェの会員証が五枚あり、住所は静岡と東京だった。名前は片桐舞子。部屋の名義人にきくと、舞子とはネットで知り合い、部屋を一時的に貸していただけだという。やがて片桐舞子の名前で静岡の養護施設から捜索願いが出ているのが判明。十一カ月前の十五歳のときに施設を逃げ出していた。いったい少女に何があったのか。
二転三転する展開はミステリ的には申し分ないし、寡黙な刑事像も悪くない。刑事の私生活を描き、刑事たちの同志的な友情や反目を視野にいれて、事件以外の部分を捉える警察ものも多いが、本書の大河内ものではそれをとらない。十代の女性の死体を見ても、ことさら心を動かそうとしない。なぜなら、ひとり娘の恵美を三歳の時に水難事故で亡くして以来、大河内は“心の一部を頑なに閉ざし、娘につながる気持ちは凍結させて生きてきた”からである。“被害者は、あくまで被害者だ。間違っても自分の娘がもし生きていて、同じような暮らしをしたら、などとは考えないようにしてきた”。
ネットカフェ住民たちの孤独な肖像
刑事自身の感受性を開かずに、事件と対峙していくことに一部の読者は不満を抱くかもしれないが、事件が示す衝撃、社会的な広がりをつぶさに見せるにはそれが効果的である。というより、余計な感情吐露をはさむ余裕もないくらいに、事件捜査はスピーディで、たえず読者の予想の一歩先をいくし、最後までフーダニットの興味をもたせる。
しかしミステリとしての面白さもさることながら、本をとじたあとに読者の胸を静かにみたすのは、たったひとりで生きていこうとした舞子の覚悟であり、その覚悟をもたらすことになった孤独な日々であり、いまなお孤独に生きているネットカフェの住民たちの肖像だろう。“刑事さん、孤独って何だかわかりますか。それは、ひとりっきりで話す相手がいないことじゃありません。自分が、誰か自分以外の人のために、何かして上げられる存在ではないと思い知ること”だという。この言葉が胸をうつ。
大河内は娘の事故死以後、“この世は、自分の子供が幸せに生きられる世界なのだろうか。子供を見守り、その肩を叩いて送り出すに値する世界なのか”という問いかけを、“何の意味もなさない問いと化してしまっていた”(『贄の夜会』文春文庫上巻)。だが、何の意味もなさないといい、頑なに心を閉ざしていても、苦しみを背負う者たちを無視することはしないし、むしろ積極的に手をさしのべようとする。短い言葉をかけるだけだが、その言葉は熱く激しい。たとえ希望が細く幻のようなものであっても、“それでも希望は希望なのだ”と考えるのだ。その秘められた熱さがいい。
本書『無縁旅人』は、警察捜査小説ではあるけれども、本質的には、誰ともつながらずに生きていかざるをえない人々の内面を追究したミステリである。シリーズ第三作以降、大河内の内面がどのように変化していくのか、見守っていきたいものだ。