記憶の欠けた生の原古に,親たちの死滅やわが身のやりとりがおわっていた霧根(きりね)には,あらゆる仮想がゆるされた.そのときのおとなたちが百ものじじょうにしばられていて,なったようにしかならなかったことに百ものしょうこが並べられたとしてもなお,霧根(きりね)は過去のじぶんを,すなわちは未来のじぶんを,げんにあった,ある,あろうものでなかったかもしれない,なくてもかまわないものと受けとめることができた.それが霧根(きりね)のぶたいに,貴種の幻影をそえていた.
なんのきっかけで霧根(きりね)が私に身のうえばなしめいたことなどしたのか,あとではおもいだせないさりげないばめんでだったが,朝荒(あさーら) の舞踊団でじかに知りあうまえの,日乗(ひのり)が生きていたころからの霧根(きりね)の役役を私がとてもくわしく見おぼえていたことがおもいがけなくて,その役役を踊ったじぶんへのなつかしさが私へのしたしみにふりかわったせいだったかもしれない.そしてたぶんおりさえあれば表示したかったのであろう.いまの親,いまの境遇は,ぐうぜんがいくらでもとりかええた養い手のひとくみ境遇のひといろにすぎないと.じぶんにふさわしいものは遠く,すくなくともこれやあれではないと.
ほんらいのじぶんをこれから実現するじぶんの中にだけさがすので,みがきぬいて輝かすゆくすえの身のかたち声のいろにだけ郷愁をもつので,いまはまだ顕われていないものにむかって,いまある手ほんのいっさいを否み,身を緊め,張りつめているので,まま子たちは凜凜しい.
プレゼント
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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