- 2013.06.21
- 書評
「自分が納得のいく仕事」に出会うために
文:寺島 実郎 (日本総合研究所理事長)
『何のために働くのか 自分を創る生き方』 (寺島実郎 著)
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
この新書を書いたのは、今を生きる若者への共鳴からだ。4年前から多摩大学の学長となり、講義やゼミを通じて多くの学生と密に接してきた。そして、現代において「自分はこれをやるために生まれてきた」と思える仕事を見つけることが、いかに難しくなっているかを痛感した。「働く意味」が実感できる仕事が見つけにくいということは、生きづらさに直結する。
食べていくためだけならば、仕事はあるだろう。仕事が持つ経済的自立を手に入れるための側面を私は本書で「カセギ」と呼んでいる。人は「カセギ」だけのために仕事をしていても満足できない。いつの日か「私はなぜこの仕事をやっているのか」という問いに直面せざるをえない。それに答えるためには、仕事を通じて自分が人間的に成長し、社会に貢献している、という手ごたえが必要不可欠だ。仕事のそのような側面を「ツトメ」と呼んだ。つまり、「カセギ」と「ツトメ」を両立させなければ、自分が納得のいく仕事には出会えない。その認識が本書の出発点になっている。
しかし、現代では、この両立は構造的に難しくなっている。それにもかかわらず、多くの若者が「自分が納得のいく仕事」を求めて、もがいている。私はそんな若者と本気で考えてみた。
なぜ、こんな時代になってしまったのか。それは、サービス業の割合が増え、分業化と効率化が追求された結果、IT革命のインパクトもあり、多くの仕事が「誰でもできる」仕事になってしまったからだ。「誰でもできる」ということは、個人の側から見れば、自分はとりかえのきく存在であるということだ。働くことは、毎日、自分がとりかえのきく歯車であることをかみしめながら、与えられた業務を消化していくことになってしまった。就職した若者が3年で3割やめていくのは、「今どきの」若者が飽きっぽいからではなく、そのような現実があるからだ。
かつての日本には「家業」があった。父の背中を見て育ち、いつしか見よう見まねでその仕事を覚え、やがて一人前になる。そして、その技を今度は子供に伝えていく。その循環に身を投じれば、自然と「カセギ」と「ツトメ」が両立できた。しかし、今やそんな家業はほとんどなくなってしまった。
家業を継がず都会に出て、自分の「天職」を見つけようとする者も大勢いた。私も含む団塊の世代がまさにそうだ。彼らは「企業」に入ることで、「ツトメ」と「カセギ」を両立させた。戦後日本の企業は酒食をともにし、自分を鍛え、仲間を作り、結婚相手を見つけ、自分の仕事が社会に貢献している手ごたえを得る家族主義の場だった。しかし、今の若者を迎える企業は変貌してしまった。年功序列と終身雇用は崩壊し、社内の人間は皆ライバル。能力主義、成果主義が導入され、常に専門性や技能を高めなければ、十分な「カセギ」も得られない。派遣やパートに支えられる現場において社員という連帯さえ容易ではない。企業は温かく人と絆を育み、「ツトメ」を実感させてくれる場所ではなくなってしまった。日本人はかつての企業を失って、バラバラにアトム化された個人になり、アイデンティティ・クライシスに陥っているように見える。
そんな時代に、どのように「カセギ」と「ツトメ」を両立させていけばいいのか。仕事を通じて、どのように自分を創っていけばいいのか。その問いを前に若者だけでなく、多くの働く人が立ちすくんでいるのではないだろうか。答えを見出すきっかけやヒントを得られるように私はこの新書を書いた。答えは自分で見つけるしかない
第2章では、ソフトバンクを創業した孫正義氏や建築家の安藤忠雄氏、スズキ会長の鈴木修氏といった先達が困難な時代にあっても格闘を続け、いかに答えを出していったのかを探った。 そして、第三章では、「働く意味」をいかに見出していったのかに焦点を絞って、私自身の人生を振り返った。
また、第4章では、「アジアダイナミズム」「エネルギー革命」など、正確な時代認識を持つための基本的な視座を記した。私は常々「経営とは時代認識だ」と言ってきたが、そのことは「人生の経マネージメント営」にもあてはまる。自分の納得がいく仕事を見つけることと正確な時代認識を得ることは遠く離れているように思っている人がいるかもしれないが、それは間違いだ。「どこにいるのか」がわからない人が、「行くべき場所」にたどりつけないように、「どんな時代に生きているのか」を把握していない人が「自分が納得のいく仕事」に出会えるとは思えない。
しかし、本書は「こうやればいい」というマニュアル本ではない。当然のことだが、答えは自分で考え、見つけるしかない。確かに今、自分が納得のいく仕事を見つけるのは難しい。しかし、「社会が悪い」「時代が悪い」と言って、戦いをやめてほしくはない。本書が自分の人生を創造していくための筋道だった思考のヒントになれば、と切に願っている。