――『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩』は、府中、番町、本郷、皇居周辺、護国寺、鎌倉、諏訪をご夫妻で歩かれてできた作品です。おふたりはご結婚以来、散歩を日課とされていますね。
美子 雨が降ろうと風が吹こうと、4キロを40分という猛烈な速さで歩いています。
正彦 僕の家は代々諏訪高島藩の足軽だったから、血が騒ぐんだ(笑)。
美子 「健康のためには死んでもいい」というのがあなたのモットーね(笑)。むくつけき男性が夜道を足早に歩くと若い女性が脅えるからということで、私も同行するようになりました。
正彦 犬を飼っていないから犬がわりにね(笑)。
――スタートは多磨霊園でしたね。
正彦 ここを訪れたのは、8歳のとき、大伯父(気象学者の藤原咲平)の墓参りをして以来だった。
美子 私は初めてでした。東郷平八郎と山本五十六のお墓が隣り合っていて、勝ち戦の東郷と負け戦の五十六では墓地の大きさが違う。そして日本の物理学の父といわれる仁科芳雄博士の墓石の脇に朝永振一郎博士が眠っていたりと、いろいろな発見がありました。
正彦 うーん、うらやましい師弟愛だ。僕の胸で眠りたい女性は山ほどいるが、お墓までもとは負けた(笑)。
――つぎに訪れたのは番町界隈ですね。
美子 四ッ谷駅からすぐのところに与謝野鉄幹・晶子、有島三兄弟(武郎、生馬、里見弴)、藤田嗣治、島崎藤村らが住んでいた「番町文人通り」があります。なぜ藤田嗣治の隣に藤村が住んだのか、藤村の女性に関する触れられたくない過去と関わっていたわね。
正彦 僕には品行方正にしか生きてこなかったという悲しい過去がある。素晴らしい文学のために藤村を見習わないと(笑)。覚悟しておけ。
美子 はいはい、がんばって下さいまし(笑)。
――本郷界隈は藤原先生のテリトリーですね。
正彦 東京大学近くにある旧岩崎邸庭園はGHQに接収されてキャノン機関が本部を置いたところだけれど、今回は特別に鹿地亘が監禁された地下室も見せてもらったね。
美子 豪奢な洋館の冷たい地下室。身がすくんだわ。私は『雁』の舞台、無縁坂を訪ね、森鴎外の世界をのぞいた気分になりました。
――皇居周辺も藤原先生の思い出深い地ですね。
正彦 満州から命からがら引揚げてきて、竹橋にあった中央気象台(現・気象庁)の六畳と四畳半しかない官舎に家族5人で落ち着いてね。とても貧しかったけど幸せだった。太陽がふりそそぐ焼け野原を、青鼻たらした僕たちは走り回っていたんだ。
美子 旧第一生命館のマッカーサーの執務室も興味深かったわ(現在は非公開)。
正彦 皇居東御苑が一般公開されているとは知らなかった。松之大廊下跡や天守台跡、大奥跡……。思わず居住まいを正してしまった(笑)。
――護国寺界隈には奥様が通われ、先生が教鞭をとられたお茶の水女子大学がありますね。
美子 教室とテニスコートを往復する日々だったものですから、谷崎潤一郎と佐藤春夫による妻譲渡事件の舞台が大学からすぐの所とは知りませんでした。
正彦 僕も尊敬する新渡戸稲造の旧居があるとは知らなかったな。
――東京を離れて、おふたりの故郷を訪ねました。奥様が育たれた鎌倉はいかがでしたか。
美子 悩める夏目漱石が円覚寺に参禅したり、小林秀雄と中原中也の女性をめぐる確執があったり、と多くの文士たちの息遣いが聞こえてきました。
正彦 僕が好きな中原中也の終焉の地でもある。胸が痛んだね。もう1人、日本の仏法が世界を照らすとして気宇壮大な理想をかかげた日蓮のことも忘れられないね。
――最終章は藤原家のルーツともいうべき諏訪ですね。
正彦 諏訪は陸軍統制派の中心だった永田鉄山、岩波書店創業者の岩波茂雄、日本人で初めてフィールズ賞を受賞した数学者の小平邦彦先生ら、人材の宝庫。家で威張っている僕も畏縮してしまう(笑)。
美子 あらあら、珍しいこと。
正彦 戦時中諏訪に疎開していた東大数学科の学生達が、米軍の暗号解読に励んだことを知る人は少ないと思う。
――おふたりで7カ所を歩かれて、多くの新たな発見をされましたね。
美子 それまでただせっせと歩いていた散歩が、かつてそこに生きた人々の物語を知ると、風景がまったく違って見えてくるのは不思議でした。皆さんも是非体験して欲しいですね。
正彦 そうだな。普段はつい見逃してしまうような路傍にも歴史の痕跡が隠されていること、そしてその陰にしばしば女性が隠されていること、さらには犬より女房と一緒の方が多少は楽しいことをあらためて認識できたかな(笑)。
藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩
発売日:2014年10月10日
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