文春写真館

室生犀星がみせた晩年の孤独の影

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

室生犀星がみせた晩年の孤独の影

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(「小景異情」より)という一節で有名な室生犀星は、本名照道(てるみち)。明治二十二年(一八八九年)、石川県金沢市生まれ。父小畠弥左衛門吉種と小畠家の使用人の女性との間に生まれた。生家近くの寺院住職に引き取られ、後に養子となった。幼少時の複雑な環境は、彼の文学観の形成に大きな影響を与えた。

 高等小学校を中退し、裁判所で給仕として働くようになる。裁判所の関係者から俳句を習い、その後、詩や短歌もてがけるようになった。

 明治三十九年ころから犀星を名乗るようになる。

 戦後は小説を中心に数多くの作品を残し、「杏っ子」(読売文学賞)、「わが愛する詩人の伝記」(毎日出版文化賞)、「かげろふの日記遺文」(野間文芸賞)と数々の賞を受賞した。しかし、晩年、とみ子夫人を亡くしてからはさびしい思いからのがれられなかったようだ。

 終生の友だった萩原朔太郎の長女・葉子はこう書き残している。

〈亡くなる二年ぐらい前だった。孤独の影が時に見え、ふと猫に御飯を食べさせる仕種にも表われた。「猫というものは、御飯をくれる人だけになつくのだ」と言って、自分で与え、「この猫はわしの猫だからね」と、猫の食事の様子を見つめている横顔に、私ははっとなったものだ。奥さんを亡くしてから私が感じていた影であった。それとも年齢的に来る孤独感なのかと推察した。私が初めて訪ねた頃から、室生さんは仕事の上ではいよいよ成功し、最高の文学賞を受賞し続けていたのである。仕事の行きづまりでないことは素人の私でも察しがつくのだった。〉(「文藝春秋」昭和四十二年七月号「室生犀星の愛と冷たさ」より)

 昭和三十七年没。写真は昭和三十五年撮影。

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