――四月から刊行の始まった文春文庫の新レーベル「文春ジブリ文庫」。文字通り文庫サイズで、スタジオジブリのこれまでの映画が「シネマ・コミック」として網羅され、その解説本ともいえる「ジブリの教科書」も同時に発売、4月の第1弾は「風の谷のナウシカ」です。文藝春秋としては社の90周年企画という意味もあります。これまでも映画になった作品は「フィルム・コミック」などとして他の出版社から発売されていましたが、文庫として、なぜ文春文庫を選ばれたのでしょうか。
鈴木 文庫にしたいという話はこれまでもいろいろありました。ただ、宮崎駿作品にしても、高畑勲作品にしても、この作品を文庫にしたいという話はいただくんですが、そうすると作品ごとにばらばらになるんです。僕としてはどこかの出版社でジブリの作品を文庫として、まとめて出せないかと思ったんです。以前、高畑勲、宮崎駿がいろんな媒体で書き散らした文章、話したインタビューを年代順にまとめた本があると便利だと思い、それぞれ1冊にまとめました。文庫も複数の出版社からばらばらに出ているんじゃなくて、1社でやってもらえないかなと。いろんな出版社を考えたんですが、文春が浮かんだのはいくつか理由があります。ひとつは映画を大事にしてくれる出版社はどこだろうかということです。文春は映画の本が充実していると思ったんですよ。それから、様々な出版社と付き合ってきましたが文春と今まではなかった。僕が20代の若い頃、文春の若い人とよく飲んだりして遊んでいたんですが、あの人たちはどうしているんだろうかと。20年くらい前から現在第一編集局長になっていらっしゃる木俣正剛さんと接点ができて、ジブリの機関誌「熱風」の連載がまとまった古澤利夫さんの『明日に向って撃て! ハリウッドが認めた! ぼくは日本一の洋画宣伝マン』が文春文庫から出版されたのもきっかけのひとつですね。ジブリ文庫の発案者はじつは木俣さんなんですよ(笑)。
――「文春ジブリ文庫」の特徴のひとつは「教科書」がある点です。ジブリの現場の方々の当時の回想や新聞などの報道から、現場の熱気や、作品を取り巻く環境が伝わってきます。また、日本を代表する評論家や著名人による解説やエッセイから作品を多角的により深く読み解くことができます。これを見て気がついたのは「風の谷のナウシカ」の公開は「疑惑の銃弾」事件と同じ年だったこと、ずいぶん前ですね。
鈴木 約30年経つんですね。当時なんとなく、時代性をもちながらも普遍性も備えて30年くらいは作品としてもつといいね、と話していたんですが。それが今、年月を経て文庫という新しい版を出すわけです。
――「風の谷のナウシカ」は少なくとももう数10年の寿命はあるでしょう。インタビューの今日は3月11日です。2011年の3月11日以前と、その後にこの作品を観るのとでは意味が違ってくるのではないでしょうか。
鈴木 「風の谷のナウシカ」の公開日をご存知ですか。1984年の3月11日なんです。偶然といっていいのか、こういうことはあるのですね。そして、その3.11の日のことです。今夏公開される「風立ちぬ」の絵コンテを宮崎が描いていました。ゼロ戦の設計者堀越二郎がモデルの二郎とヒロイン菜穂子が汽車の中で関東大震災の起きる最中、劇的な出会いをするのですが、そのシーンを書き終わったその日に東日本大震災が起きたんです。地球は天体としての活動をしていますから、こういう悲劇も起こるのですが、あまりの偶然に自分の描いたものに宮崎は悩んでしまいました。関東大震災は歴史の事実だから自分の絵に結び付けて考えることはない、自主規制するのはおかしいと私は言ったんです。彼は悩みながらもそのままやろうと決心しましたが。舞台となる時代は不景気、結核などの疾病が蔓延、不安定な政治、今と似てますよね。そして、戦争に突き進んでいきました。
――「教科書」の大塚英志さんの文章〈アニメーション研究の学会で外国人たちが、日本は何故、ジブリ作品を含め核をめぐる寓話を描いてきながら(中略)フクシマの問題を引き起こしたのだ、と聞かれた〉との一節が身に沁みます。ところで「シネマ・コミック」の流れるようなコマ割りもこれまでになかったものです。映画を見ているように楽しめます。
鈴木 編集を担当している岸川靖君というのが宮崎の信頼を得ている腕のいい男ですから。時間はかかりますが、いいものを作ります。印刷も色がよく出ていますね。文庫サイズという小さい判型も気にならないですね。ジブリの映画は親子、孫と一緒に見られる方が多いようです。文庫でハンディですし、値段も手ごろです。お子さんも自分の御小遣いで買えるのではないでしょうか。揃えば全作品をまとめて読んでいただけます。僕も今度文庫で読んでみます(笑)。