
あらゆるものが、いつも、つねに、そこかしこに現前してしまっている。おかげで私たちは、不在であるものを現前させる能力を、日々退化させつつある。私たちの精神性の層は、髪の毛のように薄くなりつつある。このことに強い危惧をおぼえる。
現在、各種のクレジットからインターネットによる宅配まで、不在という状態を一分一秒でも短縮するためのシステムが、私たちの生活を覆い尽くしている。その結果、私たちは何かが不在であることに耐えられなくなりつつある。そうした状態を「不幸」と感じるようになっている。だから不在が生じれば、できるだけ早くそれを埋めようとする。埋まらないものは、すでに現前しているもので間に合わせる。それが消費をマキシムとした、現在の世界のありようだ。ところがどっこい、人間のなかには、不在のものを現前させることでしか、絶対に埋まらない領域があるのだ。そのことにみんな、早く気づこうよ。
遠く神話の時代から、文学は不在のものを、イメージや象徴や比喩によって現前させることを使命としてきた。近代以降の文学が、恋愛と死ばかりを性懲りもなく描きつづけてきたのは、それが宿している悲しい遺伝子のなせる業なのだ。ここにきて、その文学が難しいことになっている。一つには、先に述べたように、不在のものを現前させることに、多くの人たちが情熱を注ごうとしなくなったからだ。
もう一つは、この社会が、不在のものを現前させるためのメソッドを失いつつあるせいだろう。このたびの私の小説。やってみて、あらためてわかったけれど、現代文学のコードで死者を現前させることは、とても難しい。たとえば作中に「魂」や「奇蹟」といった言葉を紛れ込ませることからして、至難の業なのだ。下手をするとオカルト小説になってしまう。あるいはインチキ臭いスピリチュアル小説に堕してしまう。どちらも避けたかった。すると夢とか幻想とか、選択肢がきわめて少なくなってしまう。限られたマテリアルで書こうとすると、類型的になってしまいかねない。そう感じさせないように書いたつもりだけれど、うまくいっているかどうかは、読者の判断を俟(ま)つしかない。
嘘っぽさを避けるために、もう一つ意識的に採用した方法は、作品を長く複雑にすることだ。これにも一長一短あるだろう。退屈な話にはなっていないと思うので、安心してお読みいただきたい。
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