僕は小学校四年生から長嶋茂雄になりたかった。プロ野球選手になりたいのではなく、長嶋茂雄になりたかった。長嶋の真似ばかりしていた。長嶋のスライディングの真似が得意だった。右足でベースを踏んで左足を大きく開いた。校庭の真ん中でも、砂場でもよくやった。学校の廊下を歩いているときに、自分に「スライディングをやってほしい」とリクエストして、いきなり廊下に滑り込んで、女の子たちにねじめくんってヘンな子とレッテルを貼られた。長嶋の動きのひとつひとつが新鮮でかっこよく体に入ってくる。体に入ってくると、その動きを回りの人に見せて受けたくなるのだ。
受けないと嫌なのだ。長嶋茂雄になりたいのだ。この試合を見ていたころ、僕は二十歳だった。長嶋のプレイの真似ばかりしていて、回りに受けに受けて、受けることに目覚めて、東八郎の弟子になりたくて、新宿フランス座に出入りしていた。この僕の芸人根性を育ててくれたのも長嶋茂雄であった。
話はそれるかもしれないが、ビートたけしさんの芸風も長嶋茂雄を感じる。あの若いころのビートたけしの喋りのスピードは長嶋茂雄的であった。スピード感で聞かせて、飽きさせない。何度も何度も聞いていても初めて聞くような語り口は長嶋茂雄の匂いがした。ビートたけしさんに長嶋茂雄のことを聞いたことがあったが、やっぱり長嶋茂雄のことを日本一敬愛していて、「オレが今一番やりたいのは長嶋さんのマネージャーかな。オレが長嶋さんのマネージャーをしたら、長嶋さんがこの世の中で一番偉い人であることをもっともっと証明してあげるのに」と言っていた。
ビートたけしさんも長嶋少年だった。長嶋の一つ一つの動きを体の中に貯金してきて長嶋のかっこよさを覚えたのだ。ビートたけしさんのチームと野球の試合をしたことがあったが、たけしさんが打つときもゴロを捕るときの身のこなし方にもかっこよさを求める長嶋茂雄が入っていた。たけしさんの体の中にも長嶋茂雄がたっぷり棲みついていた。
長嶋はちょっといつもより険しい目つきでバッターボックスに入った。バットを構えたときに長嶋は思わず審判に「タイム」と言った。
僕はバッターボックス中でタイムと言った長嶋茂雄を初めて見た。投手との間合いが悪くて、バッターボックスを外したことはあっても、心臓のドキドキ感に堪え切れなくてタイムをしたように見えた。長嶋はイタコだ。顔つきがどんどん集中してくるのがわかった。長嶋はイタコだ。深呼吸して、バッターボックスに入り直して、バットを構えたのだが、長嶋はまた「タイム」と言った。心臓のドキドキ感が長嶋を邪魔しているよりも長嶋はイタコに入っている。
長嶋はイタコだ。
憑依している。
野球が憑依している。
野球の天使が憑依している。
長嶋は大きく深呼吸すると、今度は迷うことなくバッターボックスに入った。権藤の投げた球を左中間にホームランした。王の敵を取ったのだが、長嶋の体から恨みつらみの匂いがまったくしない。血の匂いもしない。どんなときでもシンプルにかっこいい。余分な感情がない。長嶋のベースを回るスピードが上がってきた。長嶋がホームランを打って、こんなに早いスピードでベースを回った姿も見たことがない。三塁コーチとも握手もせずに三塁を回ってあっという間にホームに戻ってきた。
長嶋がベンチに戻ると、ベンチで笑顔を見せる選手はひとりもいない。王の敵を取ってくれてありがとうという顔つきであった。
長嶋はカッコイイだけでいいのだ。いや、それがいちばんたいへんなことであるから、長嶋茂雄は病気で倒れてリハビリしているテレビ番組で「野球で活躍した頃の長嶋茂雄も見て欲しかったですが、今、病気で倒れた長嶋茂雄を見て欲しい」と言った。
これぞかっこよさの極みである。
この世に生まれて、長嶋茂雄に会えたことが僕のいちばんの宝物である。
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