2014.01.24 日めくり立ち読み『感受体のおどり』

第30番

文: 黒田 夏子 (作家)

登場人物紹介

 ずっと下のほうから,月白(つきしろ)の声が月白(つきしろ)のいどころをおしえてよこした.おりられそうだとけんとうをつけたぶたいうらのいくまがりかの階段は,長く,ひとけもなく,手すりからのぞくとしらじらと廃墟のような底にひとつかみの踊り手が出を待っているのが見え,けいこ着すがたの月白(つきしろ)がそこから気やすく手をふっていた.

 ぶたいげいこちゅうの月白(つきしろ)のための持ち重る綾のかさをかかえておりつぎながら,けして呼ばなかったろう若い月白(つきしろ)をおもっていた.そこまで来たからにはやがてたどりつくと,この劇場の大がかりなせりをつかったことのない私のがわのこころもとなさなど気がついても放っておいたろう若い月白(つきしろ)をおもっていた.うろたえてひまどってもまにあいさえすれば叱るでもなく,いっさいかまいつけないのが長いあいだのならいであった.そういうじゃけんなほどそっけない月白(つきしろ)を透かして,手をふって呼んでくれる月白(つきしろ)をゆめみていたが,いまおとろえかけて優しい月白(つきしろ)を透かして,若くじゃけんな月白(つきしろ)をゆめみていた.それはどちらもかなうことのないゆめであり,どちらがましともいえない哀しいゆめであった.

 月白(つきしろ)たちがせりあがってしまうと履きものを持って階段をもどり,ぶたいそででその幕のおわるのを待った.せりとあかりのちょうしをたしかめるのがおもなのでけいこ着の上からはおっていただけの綾を,ふたたび私にかかえさせ,踊らなくていいつぎの幕を客席から見ようと月白(つきしろ)は言って,こともなげに花みちを歩きだした.客席へということはいちどがくやへひきかえして通路をいくまがりかするのだとしかかんがえていなかったが,それはどうどうといさぎよい近みちにはちがいなかった.

 客席のゆかはぶたいから遠のくにつれて高まるので,はたらき着の私はとちゅうから跳びおりてもよかったものの,月白(つきしろ)がさわやかに歩ききってしまうままだまってしたがった.長いまっすぐな花みちだった.とほうもなく遠い道のりを歩いている気がした.いあわせるだれよりも月白(つきしろ)が目うえのせいでかんがえようによってはぶれいなこの近みちがゆるされるとおもうよりは,いあわせるだれよりも月白(つきしろ)が美しいせいでゆるされるとおもうほうが甘やかだとしても,そうならば月白(つきしろ)は,私をおなじ近みちにさそったはずはなかった.

感受体のおどり
黒田夏子・著

定価:1,850円+税 発売日:2013年12月14日

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