大ヒット中のNHKの朝の連続テレビドラマ「花子とアン」。主人公の腹心の友・葉山蓮子のモデルとして、再び脚光を浴びているのがこの柳原白蓮だ。
夫のもとから、愛人とともに出奔して世を騒がせた「白蓮事件」は大正十年(一九二一年)十月。菊池寛の『真珠夫人』、林真理子の『白蓮れんれん』などの小説をはじめ、いくたの新聞や雑誌の記事、ドラマになった。
わがために泣きます人の世にあらば死なむと思ふ今の今いま
女とはいとしがられて憎まれて妬まれてこそかひもあるらし
いくたりの浮れ男の胆(きも)を取る魔女ともならむ美しさあれ
「女の本音」を暴露するような歌風は、処女作『蹈絵』(ふみえ)の大きな個性である。
明治十八年(一八八五年)生まれ。柳原伯爵の次女で、大正天皇の従姉弟に当たる。十四歳で親戚の北小路家に嫁ぎ、十五歳で男子を出産。だが夫の放蕩や姑の強引さに耐えられず、二十歳で実家に戻った。東洋英和女学校で学ぶが、卒業後すぐに福岡の炭鉱主・伊藤伝右衛門と再び不本意な結婚をさせられる。成金の炭鉱王と華族という身分の違いや、莫大な結納金などが、新聞にも書きたてられた。
福岡で作歌の道に邁進し、作家としての本格的な活動を始め、やがて新刊出版のために東京から原稿依頼に来た宮崎龍介と恋に落ちる。白蓮が妊娠し、姦通罪を切り抜けるために、二人がとった手段が「失踪」と「公開絶縁状」だった。
〈常にあなたの愛はなく妻としての価値を認められない私は、どんなに頼り少い淋しい日を送つてゐたか御承知ない筈はないと存じます〉
〈此の手紙により私は金力をもつて女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の訣別を告げる事にいたしました〉 (大阪朝日新聞に掲載された手紙)
三度目の結婚でようやく愛のある生活を手にし、その後も夫の病気や戦争、息子の戦死などの苦労を乗り越えて、八十一歳で天寿を全うした。写真は昭和三十一年(一九五六年)撮影。