黒いごまのような、影しかうつってないようなエコー写真のはしっこを指でつまんで何度もみつめ、はじまったなーというような気持ちだった。自分の性格を思うと、できたらできたで、ものすごく不安になって落ちこむのではないだろうかと想像していたけれど、あんがいそういうこともなく、適度に鈍く、なんだか妙に浮き足だっていた。しかし物心ついたときから物事の暗い面をさらに暗い色をした眼鏡ごしにみつめ、ネガティブさにかけては人後に落ちないという自負のある、いわばネガティブ・ネイティブたるわたしである。これまでの人生、まずはつねに最悪のシーンを想像し、明日は今日よりも悪くなるに決まっている、そしてよいことがあれば必ずわるいことが三倍返しでやってくるというサイクルを信じ、よくわからないけど魂のどこかをあきらめながらしずかに鍛えてきたという実績がある。いまはただ、はじめてのこと、待ち焦がれたことが叶ってちょっと気分もよく、ムード的にふわふわしてるだけで、基本的にこんなのっていっときの高揚感でしかなく、これが本当じゃ、ないのだよ。妊娠生活がどれくらい大変かというのは、まわりの経験者からもいやというほど聞いてきたし、この数ヶ月、そのような情報ばかりを浴びるように摂取してきたではないか。このいまのうれしい気持ち、ありがたい気持ち、ぽかぽかした気持ちはいっときのこと。これからさまざまなことがあるだろう。ものすごいネガティブ・リアリストとしていっそうに気をひきしめて、この1年を生き抜かねばならない。わたしはありとあらゆる最悪な出来事をことこまかに想定して、くる夜もくる夜も、あべちゃんに聞かせつづけた。あべちゃんは「頭がおかしくなる」と言っていたけど、少しでも面倒な顔をするとわたしの話はさらに長くなるので、最後は目を閉じて口を半分ひらいたまま無表情であいづちを打つだけの、なんかエジプトの壁画の人みたいになっていた。
しかし……わたしは、そのときのわたしに笑顔で教えてあげたい。あんたの先取りネガティブさなんかまじでファンタジー。まったくぜんぜん、なめてるで、と。じっさいの妊娠生活は、わたしの想像をはるかに超えた、過酷かつ未知すぎるものだった。わたしの想像力なんか三段跳びでスキップして見えんくなったなーと思ったら脳髄に突き刺さってたわ、みたいな、そんな現実の天丼の日々が待ちうけているなんてそんなこと、黒いごまのような影をほくほくみつめるわたしには(あべちゃんも)、知るよしもなかったんである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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