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菊田一夫に見出されて開花した「日本のお母さん女優」森光子

菊田一夫に見出されて開花した「日本のお母さん女優」森光子

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 大正九年(一九二〇年)、京都の割烹旅館の娘として生まれる。嵐寛寿郎の従姉妹にあたり、「寛プロ」の所属として映画界に入り、娘役として多くの映画に出演。喜劇映画の脇役ばかりだったのが不本意だったようで、若手映画監督との婚約と解消をきっかけに、映画女優を辞め、歌手を志して二十一歳で上京する。

 戦時中は日本軍慰問団として中国・南方を回り、戦後は進駐軍キャンプでジャズを歌った。日系二世の米軍属と婚約したが、一緒に渡米する道を選べず別れる。昭和二十四年(一九四九年)には肺結核となり、京都に帰り闘病、一時生死の間をさまよった。

 波乱万丈の芸能生活だったが、昭和三十三年、梅田コマ劇場に脇役で出ていたのを、菊田一夫に見出されたことが転機となる。ふたたび上京、東宝の舞台に立つ(この間にラジオ演出家と結婚、のち離婚)。昭和三十六年、菊田の脚本による「放浪記」で、はじめての主役、林芙美子役を演じる。これが生涯二千十七回の上演を数える、森光子のライフワークとなった。

 写真は昭和三十九年、菊田一夫(左)らとの座談会のときに撮影。

 昭和四十一年からテレビドラマでも主役も演じるようになり、「天国の父ちゃんこんにちは」「時間ですよ」「銀座わが町」などの好演で、「日本のお母さん」女優の地位を不動のものとした。

 舞台、ドラマでよきお母さんとして活躍しつつ、自身は晩年まで「恋多き女性」として振る舞い、若手俳優、歌手から慕われた。平成二十四年(二〇一二年)十一月十日、肺炎で死去。

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