本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
財閥令嬢・沢田美喜は戦後の混乱期に数多くの国際孤児を育てた

財閥令嬢・沢田美喜は戦後の混乱期に数多くの国際孤児を育てた

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 テレビドラマ「サインはV」で、范文雀演じるジュン・サンダースが、エリザベス・サンダース・ホーム出身だったことを覚えているだろうか。

 戦後の混乱期に同園を造り、数多くの国際孤児を育てた沢田美喜は、明治三十四年(一九〇一年)生まれ。祖父は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎。父は三菱財閥の三代目総帥、岩崎久弥男爵、母寧子は保科子爵家の出という令嬢だった。東京女子高等師範学校附属高等女学校を中退し、津田梅子らが家庭教師として指導した。

 大正十一年(一九二二年)クリスチャンの外交官、沢田廉三と結婚し、キリスト教徒となる。夫の転勤にしたがい、ロンドン、パリ、ニューヨークで生活する。昭和十一年(一九三六年)帰国。

 終戦に伴いGHQが進駐し、アメリカ兵を中心とした連合国軍兵士と日本人女性との間に数多くの国際孤児が誕生した。両親ばかりでなく、社会からも見放された彼らのために、沢田は、昭和二十三年、敷地一万五千坪の大磯の岩崎別邸内に、エリザベス・サンダース・ホームを開設する。財産税として物納されていたが、募金を集めて買い戻したのである。

「なんにもなくなったときにはじめたでしょう。ですから、父からもなんにもしてもらえなかった。ただ、最初に子供を大磯へつれて行くとき、わたしが結婚式のときに使ったロールスロイスを貸してくれたんです。『なんにもしてやれないから、せめていい車で送ってやれ』って」(「週刊文春」昭和四十年十二月十三日号「大宅壮一 人物料理教室」より)

 孤児たちが就学年齢に達すると、ホーム内に小学校、中学校を設立した。学校名は、戦死した三男の洗礼名から、聖ステパノ学園と命名した。昭和三十七年、ブラジルのアマゾン川流域の開拓をすすめ、聖ステパノ農園を設立。ホームの卒園生が数多く移住した。こうした事業に私財をすべて投じたほかはほぼ寄付で運営し、手元には何も残らなかったという。

「わたしの娘がお嫁に行くとき、指輪の一つ、やれませんでした。おばあさんが、なにか一つ残してくれといったんですが、とうとう残らなかったし……。御所(皇居)のおよばれのときにいただいた、銀のボンボン入れがありましたが、これだけは娘にやろうと思っていたんです。御紋がついていますし、売るわけにいきませんから。そしたら、なかの盗癖のある子が、みんな盗んで行っちゃった」(同)

 写真は昭和四十年撮影。昭和五十五年没。

プレゼント
  • 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/12/17~2024/12/24
    賞品 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る