2011.04.20 書評

女の五十路、淋しさの中にももぐべき果実あり

文: 温水 ゆかり (ライター)

『実りの庭』 (光野桃 著)

 〈女女女〉と、女を三つならべてみる。見た目の行儀はいいが、妙に心がざわつく。この女たちが血族となれば、なおさら。真ん中の〈女〉が著者の光野桃。『実りの庭』は母を看取った記であり、自らの母親失格ぶりに打ちのめされる日々などを綴った女五十路の心境エッセイである。

 男性読者のために著者を簡単に紹介すれば、光野桃は女性誌の編集者を経てエッセイストとなった。編集者をやめるきっかけは夫の海外赴任。ミラノ暮らしを経て、おしゃれの真髄を伝える書き手としてデビュー、そのフィールドはライフスタイル全般に及ぶ。

 光野の作品は大別して二つの流れがある。一つは女や男のモード誌を中心に書かれたもので、この消費社会で物と自分の関係を他から差別化するのは、おのれの“哲学”であると語るもの。もう一つは自身の原風景を語る半自伝的エッセイである。

 後者の記念碑的作品が『実りを待つ季節』(二〇〇〇年刊)で、ほぼ同世代の私にとってこの作品は、女友達からの手紙のように思えた。いま置かれている環境や境遇はずいぶん違うけれど、ミシンを踏む昭和の母(必ずしも昭和生まれという意味ではなく)に育てられ、昭和の茶の間から男社会に飛び出し、おしゃれや恋にうつつをぬかしながらも仕事する女になったことなど、著者の核になったものには懐かしい既視感と親近感があった。題名からして続篇を思わせるこの『実りの庭』は、だから私にとっては今ふたたびの著者からの私信だった。

 冒頭の三篇がこの十年の水面下の激動を伝えてあまりある。最初の一篇で、読む者は中東のバーレーンに連れて行かれ、浜辺で少女のように貝殻ひろいをする著者の母の姿を目撃、しかしその一年後、著者は単身帰国して在宅介護で母を見送ったことを知る(「貝殻ひろい」)。

 その母は最晩年、まだらに混濁した意識の中で、娘の光野を「オカアサン」と呼んだ。この第二篇で著者が一人暮らしを始めたカナダ帰りの我が娘を訪ねるシーンでは、あまりの部屋の散らかりぶりにカッときて衝突。沸騰して部屋を飛び出した著者に、娘から「お母さんが望むような生活ができないのは悪いと思っています」というメールが入る。母娘という関係ゆえに攻撃し合う「お母さん」の音と、関係が逆転したことで、下の世話をする介護の日々を生き延びることができたと著者が回想する「オカアサン」の音が、せつなく輪唱する(「オカアサン」)。

実りの庭
光野 桃・著

定価:1500円(税込) 発売日:2011年05月27日

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