戦前、戦後を通じて最強と評された「昭和の棋聖」呉清源(ご・せいげん)は、大正三年(一九一四年)、中国福建省生まれ。塩を専売する裕福な家に生まれ、父親の手ほどきで囲碁を覚える。神童ぶりが知れ渡り、十四歳で日本棋院などに招かれ来日する。
木谷実とともに「新布石」を編み出し、序盤の戦法に革新的な変化をもたらした。昭和十一年(一九三六年)、日本に帰化するが、戦後、昭和二十一年、国籍を中華民国に戻した。
戦前から読売新聞が主催したトップ棋士との「打ち込み十番碁」で圧倒的な強さを誇る。昭和十四年から始まった木谷との十番碁では、第一局で木谷が鼻血を出して昏倒するという激闘を演じ、「昭和の十番勝負」として知られる。戦時中行われた藤沢庫之助との対決で四勝六敗と負け越した以外、昭和三十一年、高川秀格本因坊と対戦してこれを破るまで、主だった棋士にすべて勝利し、十番勝負は幕を閉じた。昭和五十四年、再び日本国籍に戻し、昭和五十九年引退。
通算約八百局もの正式な対局をこなしたが、引退後、とりわけ印象の深い一局を問われた呉は、昭和八年の秀哉名人との一番をあげた。
「名人は十何回も打ちかけ(双方合意の上で対局を中断すること)にして一局に四ヶ月くらいかかりました。昔は慣習として上手の手番で打ちかけにしたものですが、百六十手目でしたか、秀哉名人の妙着がでたのですが、これは弟子の前田さんが見つけたといわれています。打ちかけのあと弟子たちが集まって、次の手を色々研究していたと、名人の義弟にあたる高橋さん(故人)から聞いた話です。結局私の二目負けになったのですが、木谷先生が大いに同情してくれて、銀座の喫茶店につれだしなぐさめてくれました」(「ノーサイド」平成五年=一九九三年七月号)
写真はこのインタビューのときに撮影。引退後は、台湾、中国、韓国など海外との交流に力を注いだ。平成二十六年十一月三十日没。
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