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洗練された都会人だった谷崎潤一郎

洗練された都会人だった谷崎潤一郎

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 谷崎潤一郎は明治十九年(一八八六年)生まれ。東京帝国大学在学中に、和辻哲郎らと第二次「新思潮」を創刊、同誌に掲載された「刺青」などが永井荷風によって絶賛される。「悪魔」や「異端者の悲しみ」などの作品で耽美派と称されたが、関東大震災で被災し、関西に移住した後、作風に大きな変化をみせる。「痴人の愛」「卍」「蓼喰ふ虫」などで古典主義的な傾向を強め、やがて「春琴抄」「陰翳礼讃」に結実する。

 戦後「細雪」を発表。また、「源氏物語」の現代語訳を、高血圧症に苦しんで一時中断しながらも完成させた。さらに、晩年は老いと性を主題とする「鍵」「瘋癲老人日記」を世に問うた。写真は昭和二十九年(一九五四年)、熱海の雪後庵にて撮影。

〈谷崎氏は、カメラマンの依頼するままに気軽く身体を動かし、少しもその煩雑を厭ふやうには見られなかつた。大家振つたポーズの全くない寛潤さに、いはゆる老大家との面識をかつてもつた経験のない私などは瞠目せずにゐられなかつた程である。

 谷崎氏は何度か軽快な冗談をいつて私たちを笑はせ、洗練された交際上手な都会人らしい面目をさへ発揮された〉(「別册文藝春秋」四十一号掲載・十返肇「耽美の人・潤一郎」)

 昭和四十年(一九六五年)没。

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