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なぜ、北朝鮮を書いたのか?

なぜ、北朝鮮を書いたのか?

文:李 相哲 (龍谷大学教授)

『金正日と金正恩の正体』 (李相哲 著)


ジャンル : #ノンフィクション

 一九八二年九月から五年ほど、中国の新聞社で働いていた。正月には故郷に戻り、村人たちの話を聞く機会があった。村には朝鮮族が多く、なかには北朝鮮に親戚を持つ家もあった。

 「北朝鮮の子供たちは牛肉を見たこともないようだったよ」、「靴下、布団カバーなんか中国の十倍の値段で売れるよ」とか、「誰々の親戚は飢え死にしたらしい」といった話をわざわざしてくれる。こちらが記者だから北朝鮮の話に興味をもつだろう、と思われたのかもしれない。

 二年ほど前、中国の大学で教えている友人がこんな話を聞かせてくれた。

  勤務先の大学で、中朝共同の「金正淑(キムジョンスク)生誕記念シンポジウム」が開かれた。金正淑とは金正日の生母の名前である。だが、金正日がいつ生れたか、という話題に及ぶと、「生れた」という表現は絶対に駄目だ、と北朝鮮側が抗議をし、会議が中断したという。

「生れたと言わないのだったら、どう言えばいいのか」と聞くと、「高く謹んでかしずく(높이받들다)と言うのだ」と北朝鮮側は答えたらしい。

 ほかの社会主義国家の指導者と違い、北朝鮮では金正日や金正恩の出生地は国家最高機密に属する。指導者の神秘性を高めるため、生年月日も、政治的意味合いから操作する。

 北京で記者として働いていた大学時代の友人は、北朝鮮に「軍事情報を売った」罪で十二年の刑を言い渡され、いまだ服役中である。彼がどれほどの情報を掴んでいて、何をしたかは不明のままだ。

 このように日常生活の中で自分の中に蓄積された北朝鮮情報を日本語・中国語・韓国語の資料を使って、あらためて精査してみたかった。

 北朝鮮に関する情報は、どれも確かではない。したがって、北朝鮮問題は何一つ成果を伴わない。こうした空しい状況はニュースなどを通して誰もが感じていることだろう。私も「一言」もの申して、これに一石を投じたかったという気持ちもある。

 いささか不謹慎な言い方ながら、北朝鮮の専門家はもとより、韓国情報当局でさえ北朝鮮に限っては、“すごい情報”を持ち得ているわけではない。

 北朝鮮の権力中枢にいて、長年金日成、金正日親子に仕えた黄長燁(ファンジャンヨプ)氏(一九九七年に韓国に亡命、二〇一〇年ソウルで死去)も、驚くほどの情報は持っていなかった。脱北者の証言も皮相的な話が多い。つまり、みな、北朝鮮という「象」の一部しか知らないのである。

  私は、ずっと歴史を勉強してきた。そこで一つ悟ったことがある。歴史家にもっとも必要なのは洞察力である。バラバラの情報をパズルのようにつなぎあわせ、頭の中でその時代を絵画のごとく再現し、「なるほど、あの時代とはこういう時代だったのか」とわかることだ。

 初めての新書『金正日と金正恩の正体』を書き終え、北朝鮮をめぐるさまざまな断片が、多少なりともひとつの絵として形を成していることを祈る。

金正日と金正恩の正体
李 相哲・著

定価:809円(税込) 発売日:2011年02月18日

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