三遊亭円生は戦後の落語黄金時代を支えたといわれる一人。
〈落語の故事来歴にはきわめて詳しい。レパートリーの広さと話術では桂文楽なきあと文字通り当代随一である。特に人情噺にかけては、正統に語れる人は他に林家正蔵師匠がいるだけで、まことに貴重な存在である〉(「文藝春秋」一九七三年=昭和四十八年十一月号)
この年には、落語では珍しい御前公演をおこなう。
明治三十三年(一九〇〇年)生まれ。昭和五十四年(一九七九年)、くしくも誕生日の九月三日に他界した。たまたま同じ時に上野のパンダ、ランランが死んだために、朝日新聞など翌日の全国紙朝刊の一面トップは〈ランラン死ぬ〉の記事となった。社会面でも二番目にあつかわれ、しばらくそのことが落語の高座のマクラに振られていた。