明治四十三年(一九一〇年)、華族の家に生まれた白洲正子(写真右)は、幼少期より能に親しみ、十四歳で舞台に立った、生粋の審美眼の持ち主である。「能面」「かくれ里」など数多くの著作により、日本の風土に根差す美を紹介した功績は大きい。
その白洲正子が畏敬した人物が、染色工芸家・芹沢銈介。あるとき正子が骨董店で見つけ魅了された屏風を、逡巡しているうち、先に買っていった人物がいた。そうしたことが何度かあり、その相手がいずれも芹沢であったという。正子はのちに、雑誌の取材で芹沢邸を訪れ、蒐集品の確かさはもとより、「世間の評価がどうでも、作者も時代も分からずとも、良いものは良い」という見事な態度に感じ入り、人物に魅了される。
芹沢銈介は明治二十八年、静岡市で呉服商の家に生まれる。東京高等工業学校(現・東京工業大学)で工業図案を学び、柳宗悦と交流し「民藝運動」の主要な担い手となる。着物・帯・屏風・暖簾といった日本の伝統文化にかかわるものにとどまらず、本の装丁から建築内装まで幅広く活躍した。
自ら案出した、紙を型紙で染める技法「型絵染」で人間国宝。フランスの国立美術館で個展を開き、仏政府より芸術文化功労章を受けるなど、日本の伝統美術を世界に紹介した。
写真は昭和五十二年(一九七七年)の「文藝春秋デラックス 芹沢銈介の世界」の取材風景。企画の域を超え、美について熱心に語り合う二人の姿があった。
芹沢銈介の作品や蒐集品は、仙台、静岡などの記念館で見ることができる。昭和五十九年、八十八歳で逝去。
白洲正子は平成十年(一九九八)年、同じく八十八歳で逝去した。
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