書評

寂しき高齢者に忍び寄る“老婆”の影……

文: 山内 昌之,片山 杜秀,浜崎 洋介

『後妻業』 (黒川博行 著)

「公正証書まけ」

山内 私が思うに、物語のリアリティーを支えるのは小夜子や柏木らが繰る関西弁でしょう。〈バカにしなや。うちを惚れさす男なんか、いてるわけないやろ〉〈籍はいつでもええから、マンションでも買わせて、公正証書まけ〉――。せりふがスタッカートで聞こえてくるかのようで、悪人たちの顔さえ浮かぶ迫力は、生きた口語を使いこなす著者の独壇場ですね。〈いてはるんちゃう〉のように、悪人たちも敬語を使うのです(笑)。共通語の文学にはない抱腹絶倒の妙がありますね。

片山 私は、70歳くらいの女性が犯罪者となる小説が違和感なく読めるようになったことに驚きました。まさに高齢化社会の犯罪小説ですね。しかも、たとえば小夜子が、再婚相手の老人に、秘所を1万円で見せる。昔の小説の40歳か、もっと若いくらいの感覚の70歳が登場している。相手が卒寿とかなのだから、古希でも確かにかなり若い。年齢設定のパラダイムシフトですね。

浜崎 少々野暮ったい分析ですが、ハードボイルドが成り立つ上で、都市で人々が孤独を感じる社会であることは必須条件です。この点が、『八つ墓村』のような、いわゆる渡辺京二的な共同コミューンで起きる事件とは決定的に違うんですね。この本では悪徳結婚相談所ですが、砂粒化してバラバラになった個々人の間を埋めるように暗躍する連中が現れ、被害者として、片山さんが言うように高齢者が登場する。確かに妻に先立たれ、仕事もなく、喋る相手のいない男性は寂しく孤独な存在です。嘘だと分かっていても、言葉をかけて優しく接してくれる女性に心が動かないはずがない。実際、木嶋佳苗事件や鳥取不審死事件の被害者には高齢者が含まれていましたしね。

片山 高齢者は大量の薬を服用しているから、ちょっと薬をすり替えても分からないとか。高齢者が、判断力の低下した状態で公正証書に判を捺してしまうことを阻止する肉親がいないとか。極端な高齢化社会が犯罪の温床にいかになりやすいかが、よく描かれていると思います。

山内 子どもなど親族の無関心とか、罪悪感なく人を殺す犯罪者の心性の素描には驚かされます。現代の本質的な暗部をよく照射した作品といえるでしょう。とにかく黒川ワールドにはまり、1カ月ほどで作品をほぼ読破しました。困ったことに、仕事が全然手につかなかった(笑)。