- 2015.03.13
- 書評
いま最も聞きたい評論家の言葉
文:山内 昌之 ,文:片山 杜秀 ,文:三浦 瑠麗
『人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』 (福田恆存 著/福田逸・国民文化研究会 編)
出典 : #文藝春秋
山内 この本には、福田恆存による国民文化研究会主催の講義4回分と、学生との対話が収録されています。社会科学的に窮屈な枠組みや文学者が陥りがちな自己本位の想像力ではなくて、常識的に考えれば「世の中に絶対的なものはあり得ない」と、常に疑問を持ちながら思索する大切さを教えられます。
福田の考え方にはいつの時代にも通じる真理もあり決して古くない。現代でも十分に通用しますね。
たとえば、すべての政治というものは「悪」を内包していて、それは宗教、キリスト教さえ例外ではない、と福田は言います。イスラム教にこそ触れていませんが、いま「イスラム国」の問題を考える際に非常に重要な視点です。「イスラム教は平和の宗教だ」という主張がありますが、ではなぜ人質殺害事件のような残虐な事件がイスラムの名において起きるのか。そもそもムハンマドの言行録である『ハディース』には、読み方によっては、殺害行為が正当化される条件や環境が細かく書かれている。つまり、「イスラム国」の問題も政治が宗教と交わる時に生じる「悪」の面を切り離しては考えられないのです。一方で、「悪」を克服していく内在的な根拠も宗教にあると言っています。人間のエゴイズムの行き過ぎを食い止め、精神の高さを維持するのが宗教の役割だというのは、イスラム国現象を考える上でも示唆に富みます。
片山 人間は悪なしでは生きられない。それで福田は「自分は善であって、自分はとても人殺しなんかしないというような顔をしている」連中を批判し続けて、当時は言論界の悪役になっていくわけですね。
現在の日本で保守を名乗りながら「日本かくあるべし」という非常に融通のきかない考え方をする向きも目立つように思いますが、保守論客の代表とさえ言われた福田ほどそういう言説を否定した人はいない。「時代の価値観の違いで言葉の価値観が違うのだから、それを使う人の個人の生き方によってもその言葉は違って来る」と、普遍的なことは絶対これだと語らないことが福田の真骨頂でしょうね。
“見えざるタブー”を論じる
三浦 続けて福田は、あらゆる仮説を「如何に絶望的であろうとも」考えなければいけないとします。しかし実際は、「人々は皆勝手に、知らないうちにある約束を受け入れて、その通りに言葉を用いて怪しまない」という指摘は当たっていますね。
山内 言葉がよく理解されずに使われ、その本質を問題にすることすら避けられることを、“見えざるタブー”と福田は呼びます。昭和50年の日本赤軍のクアラルンプール米大使館人質事件を受けて、「なんで人質ごと一緒に殺してしまわないか」、日本国民1億人を危険にさらすのであれば人質の命などたかがしれていると述べたのです。「人命尊重」という言葉の意味を吟味することをタブーにしてきた風潮に対して、一石を投じたわけですね。
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