書評

いま最も聞きたい評論家の言葉

文: 山内 昌之,片山 杜秀,三浦 瑠麗

『人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』 (福田恆存 著/福田逸・国民文化研究会 編)

葛藤絶対主義者

三浦 ただし、福田は「道徳の基本は絶対に変らない。なぜなら、最高善というものは洋の東西を問わず、自己犠牲、自己放棄ということにあるからです。自己を他人のため、あるいは自己よりも大いなるもののため、小は家庭から、大は国家、世界、人類等のために捨てることです」ということを言っていますね。でも、福田が想定した国家と、それから数十年が経過した現在の国家とでは、相当違うのではないかという疑問が私にはあります。国家によって初めて成り立つ個というものは弱いのです。むしろ、リベラリズムや個人主義が福田の想定よりも早く根付いたのではないでしょうか。

片山 それはわかる。というのも、私などは、福田恆存を読んで、実際に書いてあるとおりに考えているとは思わないんですね。彼の中で貫徹しているのは、結局人間は不完全で弱く、悪から離れられず、間違う存在だということです。だから、いわば“葛藤絶対主義者”で、常に正解はなくて、ああ言えばこう言うを永遠に続けていく。彼の本質は演劇人なんです。

 三浦さんのご指摘も、当時は「国家は絶対悪だから人間は自由にならないといけない」と譲らない左翼学生がたくさんいたことを念頭において、国家のために死ぬということもあり得るだろうと相対化しているんですね。だから、彼のテキストを原理主義的に読むと、「何だ、こいつは」と憤慨せざるをえない(笑)。

三浦 結局、私たちの敵はイデオロギーということなのでしょうね。イデオロギーの対極はリアリズムであり、自らの願望と現実とを混同しない厳しさです。

山内 私は福田をもっと素直に理解しています。たとえば、男女同権の世の中で、男は給仕されるばかりで得していると考える女性に対して、人に奉仕することも喜びではないか、と福田は言う。ただ福田は、現代人の男性にも自分の妻に「仕える」という気持ちをもち、それも幸せだと感じるタイプも出ることには気がつかなかった。確かに私にも妻に尽す男という面がある(笑)。夫婦や家族のなかで、お互いが権利ばかり主張して角突き合わせていくのは窮屈だし具合が悪いですよね。福田は皮肉屋だから決してそうは言わないけれど、男女や家族の関係も「絶対」と考えるのではなくて、無理せず自由に常識的に考えてやっていけばいい、と言いたかったのかもしれません。その際に必要なのは、万事に距離をとって対象を眺めるヒューモアのセンスであり、知識としての歴史を学ぶのではなく、経験としての歴史に学ぶという態度が大事になるのでしょうね。