- 2019.09.27
- コラム・エッセイ
佐々木 愛『プルースト効果の実験と結果』刊行記念エッセイ 「焦ったときに開く本」──偏愛読書館
佐々木 愛
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
2016年にオール讀物新人賞を受賞した佐々木愛さんの初の単行本『プルースト効果の実験と結果』刊行を記念して、過去の読書エッセイを公開します。 誰にでも心当たりがありそうな思春期の苦くて甘い心情を、鮮やかに描き出した著者。その読書体験とは。
大学時代、友達ができなかった。生まれ育った秋田から上京して、都内の大学や専門学校に通う秋田県出身者専用の女子寮に入ったが、大学でも寮でもできなかった。学科内でひとり、同じく東北出身の子と意気投合したが、その子も初めての都会生活に疲れ、地元の大学に入り直すことを決め、すぐ離れ離れになった。
高校までは少ないながらも友達がいたのに、ひとりになった。同年代の女子がみんな、ファッション誌のモデルのように見えて、話しかけられない。何を着ても田舎くさい気がして、仕送りを無駄に服に使ってしまうが、どれも似合わない。初バイトのドラッグストアでは「いらっしゃいませ」が言えず二ヵ月でクビになり、その次の書店では本のカバー掛けが下手でクレームの手紙が店に届いた。怪しげなボランティア集団の説明会に行ってしまった。学食のチキンカツカレー(三六〇円)ばかり食べて体重が増えた。満員電車に乗り込めず遅刻をし、徐々に朝は起きられなくなり、いつでも眠かった。授業の合間は空き教室で居眠りをした。単位数が危うくなったが、誰にも相談できない。
思い描いていた大学生活とは大分違って、やがて、うまくいかないのはすべて今いる街のせいだと思っていた。ここは私に合わない。東京を出たら、友達がいたころの自分に戻れる気がしていた。そういう日々に読んだのが、豊島ミホさんの連作短編集『檸檬のころ』だった。
豊島さんは秋田県出身で、この作品は秋田の県立高校が舞台になっていた。最初は、書かれている眩しい風景を知っている気がして、懐かしさでいっぱいになって、涙が出た。やっぱり私にはここは合わない、いるべき場所はふるさとのほうなのだと、読みながら心の中で繰り返した。でもページをめくり続けるうちに思い出してしまった。私はそこにいるときも、私にはここは合わない、いるべき場所は他にあるのだと思っていた。
最後の短編「雪の降る町、春に散る花」の主人公は、大学進学のため、上京を間近に控える女の子だった。両想いの男の子がいて、東京に出たら離れ離れになってしまう。それでも主人公はこう思う。「この田舎には何もないのだ。働く場所も、遊ぶ場所も」「私には足りない。私は大人になったら、ここにはとてもいられない。何と引き換えにしても、東京に出なくちゃいけない」。私も確かにそう思って東京に来ようと思ったのだった。
ここは私に合わない。どうしてみんな方言で話すんだろう、隠そうと思えば隠せるはずなのに。稲庭うどんもハタハタもおいしいと思えない。いぶりがっこは臭くて、一口も食べられない。TBSが映らない。四十歳になった自分が休日に行く場所や、入るお墓まで想像できる。友達はいたけれどその中でもいつも浮いている気がしていて、一緒に居てもらうのが申し訳なかった。「ここが田舎だからだ」「別の場所に行ったら、本当の自分になれる気がする」。そう思っていたのだった。
他人とうまくやれないのを周りのせいにしながらでも、それまでは友達がいたのは、たくさんの決め事に囲まれ、毎日同じ教室に同じメンバーで集められ、良心的な大人たちに温かく守られていたからであって、そういうものがない自由なところでは私は、今のように誰からも選ばれないのだと気付いた。秋田県民しかいない寮にも友達がいないのが、その証拠だった。
『檸檬のころ』には、他にも私がたくさんいた。みんなに見下されている気がして教室に入れず、担任の教師からも「クラスの連中とうまくいかないとこういう思い込みが発生しやすいのだ、『私特別だから』って」と分析される小嶋。スクールカースト下位層にいた高校時代から「自分はこいつらとは違う」と思っていたものの、上京後もぱっとしない金子。ライターを目指しているのに「私の思っていることなんて、格好悪くて汚い。取り出すのも怖い」と言い訳して書けない白田。どれも自分に似ていて痛かった。
そこにいた時には見えていなかったふるさとの景色と、見えないふりをしていた勘違いだらけの自分を、『檸檬のころ』はどちらもはっきり見せてくれた。それが見えたからといって、その後も友達ができることはなかったけれど、いつか私も小説を書けるようになりたいという欲は生まれた。それからも自分の甘さはなかなか克服しきれず、実際に書き始めるのはずっと後で、新人賞に応募できたのももっと先になった。
豊島さんは小説からは引退されたが、近年では新書『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』を出版された。これも大切な一冊になった。私の「大きらいなやつ」は主に過去の自分たちで、やつらに胸を張って報告できることはまだ無く、焦るたび私は東京の隅っこで豊島さんの本を開く。
ささきあい 一九八六年秋田県生まれ。青山学院大学文学部卒。大学生と、新聞社勤務の既婚男性とのドライブの行方を描いた「ひどい句点」で第九十六回オール讀物新人賞を受賞しデビュー。
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