ミステリーの美学は読者が解けるように書くことだと思っています。――米澤穂信(前篇)

作家の書き出し

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ミステリーの美学は読者が解けるように書くことだと思っています。――米澤穂信(前篇)

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

米澤穂信「作家の書き出し」全文公開

主人公の〇〇〇がないのは自意識のせい?

──ただ、万願寺と観山もいいコンビです。真面目な万願寺と、傍若無人なのになぜか住民に溶け込む観山と。

米澤 距離感の取り方には工夫を凝らしたつもりです。万願寺は公務員として動くので、住人たちとの距離を近づけすぎないように気をつけました。他方の観山は大学を卒業してから間もないのでまだ残っている学生らしさを、距離感の近さで出せればいいなと思っていました。
 万願寺と観山は社会人らしい距離感を保っているので、彼らは自分たちの話を全然しないんですよね。

──ああ、彼らのバックグラウンドや本音がなかなか見えてこないところが、これまでの〈古典部〉シリーズや〈小市民〉シリーズなどとは違う印象だったんです。

米澤 よほど仲良くなったら別かもしれませんが、職場の先輩後輩の間柄でなかなか一年目から「うちの親父が」といった話はしない。主人公の万願寺も、職場で自分の話は一切しないんです。実は今回、語り手は万願寺ですが、地の文で主人公の一人称代名詞は一回も出てきません。会話の中でしか出てこないんです。

──あっ、それって北村さんの……。

米澤 そうなんです(笑)! お察し頂けて嬉しいです。もともとは、この主人公にどの一人称もうまく合わないことが問題でした。万願寺は「この課に配属されたのは左遷だよなあ」と思いながらも、住人から鯉を育てていると聞けばすぐに鯉についての本を読むような、なかなか熱心な人です。彼が「私」と言っても「僕」と言っても「俺」と言っても、一人称がうまく合わない。たぶん、この人は滅私だから、一人称が合わないんだろう、と思いました。「じゃあ一人称がないほうがいいんじゃないか、でも、そんなことが可能なんだろうか」と考えた時に、「ああ、それをやった人がいるじゃないか」と。北村薫先生の〈覆面作家〉シリーズですね。先例に勇気づけられました。

──万願寺は自意識が薄いという印象があったのですが、そんな工夫があったからなんですね。すごい。

米澤 私が書いたもので、いちばん主人公の一人称が頻出するのは〈小市民〉シリーズじゃないかと思っています。主人公の自意識が強いですから。同じ学園ミステリーでも〈古典部〉シリーズや『本と鍵の季節』の主人公は、それよりは自意識が低いものだから、主語の頻出度が下がります……というような工夫を自分で説明するのは恥ずかしいですね(笑)。

Iの悲劇米澤穂信

定価:1,650円(税込)発売日:2019年09月26日